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ドライな人間関係の風土が広がれば、日本人はコミュニケーション上手になる

 例えば、職場の飲み会というものは必要なのだろうか。なぜ、「職場」という括りになるのか。「職場で知り合った気の合う友人」との飲み会と言うなら自然だ。ウェットで粘着質な人間関係をベースにした学校・職場から脱却したい。

 学校や職場でたまたま気の合う友人を見つけたなら、ウェットな関係に持ち込んでもいい。前提は、ドライな人間関係で良いのだ。ドライな人間関係は冷たいものではない。むしろ非常に大事にしていくものだ。関わる人を全て仲がいいか悪いかの二項対立に持ち込んではならない。目的やビジョンの下でのみ繋がるドライな人間関係を作れるようになりたい。

 中学生の頃まではこの感覚が掴めずにいた。仲良くなれる人といるときは安心できて、グループになって固まる。話はするものの遊びに行くほどでもない友達に対して後ろめたい気持ちさえあった。

 高校生になると生徒数が多く、友達を積極的に作らなくてもいいと割り切れるようになった。義務教育が終わり、勉強をするために学校に行くという明確な目的ができたことで、友達作りをあえてしないことを肯定できるようになった。

 大学で深く付き合う友達は数人に限られた。これまでに8人くらい大切な友達ができたので、これ以上必要ではない。本当に仲良くなりたい友達を探せるようになった。今いる友達と大切に時間を過ごせるようになった。

 日本人は外国と比較してコミュニケーションが苦手だと言われる。海外旅行を何度かして、経験的にもそれには賛成できる。とにかく日本人は話しかける頻度が少ない傾向があると感じる。その原因は学校や職場の強制的にウェットな人間関係を造られるからではないか。

 外部からウェットな人間関係を強要される環境にいると、自ら働きかけて友達を作りにいかなくても良くなる。勝手に仲良くさせられるからである。しかし、本来なら友達にならないような人と同じ場所にいたからという理由だけで深く関わらざる得なくなり、いじめやトラブルが生まれる。人間関係に悩む人が増えるというわけだ。一方で、友達の数では学校や職場で事足りてしまうので、趣味のサークルやイベントなどで声をかけて仲良くなる機会が少ない。むしろ、学校や職場の友達同士で内向きの姿勢でそういったものに参加するのであろう。

 人間関係の充実度は、人生の充実度に大きく貢献する。人間関係のネガティブな側面を減らし、ポジティブな側面を増やすために、学校や職場ではドライな人間関係を作りたい。コロナによる対面主義の脱却は、人間関係の見直しをするきっかけになったのではないか。

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