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大人の美文字に憧れて

 子どもの頃、大人になれば誰でも大人っぽい文字が書けるようになると思っていた。でも立派な大人と言える年齢になった今の私の字は中学生みたいだ。小学校低学年頃までの私は「字が綺麗」だと褒められることが多かった。ところが、3年生のクラス替えで仲良くなった友達の影響で私は「綺麗な字」ではなく「可愛い字」を目指すようになった。止め、はね、はらいがしっかりした字なんて可愛くない。そんな字プリクラにも書けないじゃん。私はピチレモンを読んだり友達の可愛い字を真似したりして丸っこくて読みにくくて可愛い字を習得した。

 流行の変化と自分の成長に伴い、可愛いと感じる文字に変化はあったが、「綺麗な字よりも可愛い字を書きたい」という気持ちは高校生になっても変わらなかった。そんなこんなで大学生、社会人になっても止め、はね、はらいのはっきりしない小さい文字を書いていた。ところが、20代も半ばに差し掛かった頃、急に自分の子どものような文字が恥ずかしくなってきた。大人になってからも「肉塊ちゃんの文字は可愛いね」と言ってもらえることはあったが、もう嬉しくなかった。

 社会人になってから手書きの文字を他人に見られる機会はめっきり減った。それでも、仕事で付箋にメモを残すとき、手土産にひとことメッセージを添えるとき、自分の文字が恥ずかしくて仕方がなかったし、何度も書き直すこともあった。そんな私が筆跡を矯正する努力をしなかったのには理由がある。それは、某有名炎上エッセイ漫画ではないが自分が30歳まで生きるビジョンが全く見えなかったからだ。なんとなく30歳までには死ぬと思っていた。20代ならギリギリ今の文字でも許される気がしていた。そんなわけで、自分の子どもっぽい文字をコンプレックスに感じながらも直す努力をしてこなかった。

 2024年10月27日、私は首吊りに失敗した。『完全自殺マニュアル』によるともっとも安楽で未遂率が極端に低い方法とのことだったが、結局死ねなかった。自殺とはこんなに難しいのかと思い知った。私が自殺を図ることはもうないだろう。ということは、不慮の事故か持病の急激な悪化でもない限り私は30歳を迎えることになる。「本当にダメになったら死ねばいい」という考えが長年のお守りだったので、まだ生きることに対して腹をくくれていない。でも、腹をくくらなければいけないのだろう。ちな、首ならくくった。そんで失敗した。へへへ。

 死に損なった私にはたくさんの時間ができた。でも何もできなかった。今まで好きだった娯楽の多くも好きじゃなくなってしまった。今まで頑張ってきた英語の勉強や筋トレ、ストレッチももう頑張れない。元気だった頃、それらを頑張っていた自分が好きだったから考えるだけで自分への罪悪感で苦しくなった。それでも何かで気を紛らわせて生きるしかない。もう「いざとなったら死ぬ」という選択肢はなくなってしまったのだから。

 未遂から一週間後、気を紛らわせることができるものを探しに心身ともにボロボロの中、電車に乗って紀伊国屋に向かった。そこで以前店頭で見て気になっていたがスルーした話題の小説と『ふだんの美文字練習ノート』というテキストを買った。ちなみに、なぜ以前気になった小説の購入を見送ったのかというと、私は心が元気なときには読書をしない人間だからだ。私が本を買うとき、本を読むときは大抵心が弱っている。また、心が弱っているときの私は単純に何かを見る、聞く、読むかたちで消費するよりも自分が何かに取り組む方が気が紛れるため、この機会に筆跡の矯正をしようと思い立った。

 りささんという方の『ふだんの美文字練習ノート』はお手本を見る、なぞる、お手本を見て書く、見ないで書くの4ステップで美文字の習得を目指す。ひらがな、カタカナ、漢字に加え、主要な名字やよく使う語句・文章の練習ができる。私はまだひらがな50音の練習を終えたばかりだが、これが本当に難しい。見慣れた、書き慣れた文字のはずが、こんな形をしていたのか、こんなバランスをしていたのかと驚かされる。「あ」「か」「き」「さ」「め」あたりは綺麗に書けるようになってきた。赤き鮫?全部難しいけれど、「お」「し」「ま」「も」「れ」「を」が特に苦手。推し守れを!バランスがとれない。

 とりあえず引き続き頑張ってみようと思う。進展があればきっとTwitterで報告します。

 

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