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クリスチャンとして成長するということ


「クリスチャン」とは、キリスト者、キリスト教徒、キリスト教信者などの意味です。聖書には、

「見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」使徒言行録 11:26 新共同訳

とあります。異邦人伝道の地アンティオキアで呼ばれるようになったので、イエス・キリストを信じる人たちが自分たちで言い出したのではなく、周りの人たちが言い出した言葉だと考えられます。

イエスを「キリスト」と呼び信じるのは、ユダヤ人にとってもギリシャ人にとっても、「んなわけないでしょ。」なことだったので、クリスチャンという呼び名は当初は良い意味合いではなかったはずです。バカにした呼び方だったはずです。

どれだけバカにされても決して誰にも止められなかったのが、パウロです。パウロは、エフェソの教会宛てに、次のような言葉を送っています。

「こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。」エフェソの信徒への手紙‬ ‭4:14-15‬ ‭新共同訳‬‬

わたしたちクリスチャンは成長していくのです。わたしたちの成長の目標は、イエス・キリストです。世の中の考え、世の中の見方とは異なるビジョンです。世の中の考え・見方を基準にすると、愚かに思えることもあるでしょう。それでもわたしたちは、イエス・キリストに向かって成長していくのです。

イエス・キリストのようになる。それがわたしたちの成長です。