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私がハーフだから友達になりたいの?

「いい?いじめられたりしたらいつでもお姉ちゃんに連絡してよ?すっ飛んでぶっ飛ばしてあげる!」

 腹違いの姉と初めてメールアドレスを交換したとき、彼女にそう言われた。隣県からたまに遊びに来る2つ上の彼女は、幼いころは随分と意地悪だったのに、私が中学生に上がる頃には、何故かとても可愛がってくれるようになっていた。

「いきなりどうしたの?」

何かのドラマの影響でも受けているのだろうか。そんなことを言われたのは初めてだったので、私は戸惑った。

「だって、中学と言えば、やっぱりいじめがひどいんだよ。あたしのところもそうだったし。小学校の頃も、ほら、あたしらハーフは苦労したじゃん。いじめとまではいかなくても、結構面倒なこと多いからさ。負けちゃだめだよ?」

小学校を卒業し、もう誰にも会わなくて済むと安心していた春休み中だったが、思い出して身震いした。まさか、あの小学校よりもひどいのだろうか。


 私は、小学校が大嫌いだった。特に4年生に上がったころからは毎日が地獄であった。ことあるごとに「ガイジン」だの「ハーフだから」だの、周りとのほんの少しの違いをいつも指摘され続けた。それを理由に理不尽に仲間外れにされたり、悪口を言われたこともあった。恐ろしいことに、先生や周りの保護者もそんな感じで、必要以上に特別扱いしたり、適当な偏見で見てきたりと、全くもってあてにならない。学校の保護者会には、日本語を理解できる母が主に参加していたが、「先生は頼れなさそうだし、周りの保護者も不真面目ね。イギリスの公立よりはマシだけど。」なんて言っていた。もちろんすべて嫌なことばかりだったわけではないし、いい人もわずかにいたが、いい学校だとは一度も思えなかった。綺麗な校舎だけが取り柄の悪魔の巣窟である。

 そんな小学校だったが、すぐ隣が中学校であり、ほとんどの同級生はそこへ進学する予定であった。その中学は生徒の素行が悪いことで有名で、かつこの小学校での生活であったため、両親は私を学区内の別の中学に通わせる手続きをし、私もそれに賛成した。しかし、姉の話を聞いて、私は後悔の念に駆られ、一気に青ざめた。知り合いのいない中学に行くということは、つまりまた一からハーフであることを説明する羽目になるし、それでまた騒ぎ立てられる。

「おいガイジン、英語でなんか言えよ。」

「ハーフっていいなー、私たちただの日本人だからさー。」

 今まで言われてきた言葉たちがよみがえってくる。やってしまった。新学期は面倒なことになりそうだ。私はすっかり憂鬱になってしまい、春休み中はずっと疲弊しきっていた。


 そして、迎えてしまった入学式の4月6日。新しい制服を身にまとい、自分の姿を鏡で確認した。

「大丈夫、普通だ。」

普通?何だそれは。どこが普通なんだ?少なくとも周りにとっては普通じゃないだろう。高い身長、栗色の髪、茶色い瞳、白い肌、そばかす、高めの鼻、目の下の影。制服を着ることで、より一層目立つ素の容姿が、また呪いとして3年間も私を苦しめるのかと思うと、真っ黒なため息が出てくる。

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「うん、かわいい。似合ってるよ。」

両親は私を褒めてくれる。本気で嬉しそうだ。一人娘の進学なら、それもそうか。父も、前妻との間の今までの子供たちが中学に上がる姿は見ていないので、嬉しいはずだ。

「ありがとう。楽しみだよ。」

作り笑いをして、私は学生カバンを手に持ってローファーを履いた。きつくて痛い。スニーカーが良かったのだが、母曰く「せっかくの革製なんだから、ガシガシ履いて。」とうるさい。これなら24時間トウシューズを履いている方がよほどマシだ。(バレエもトウシューズも嫌いだけど、そう思えるほどにあの革靴は最悪の履き心地であった。激しく切実に。)

 小学校のかつての「仲間」たちとは反対方向の、真新しい進学路に向かって歩き出す。大きめに作られた制服が、鋼鉄でできているかのように重かった。

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「ねえ、あの子誰?」

「どこから来たんだろう。」

 早速か、と思った。指定された教室に向かって、入学式が始まるまで教室で席に座って待機していたが、他の生徒はあまり座っていない。もう各々仲良しグループが完成していて、駄弁るために集まっているので、立ち話をするためだろう。あー、これは無理かもなと思った。教室に入るなり急に静まったので、私は瞬時に悟った。

「一人くらいは友達を作りなさい。」

母に家を出る前にそう言われたが、この空気は無理ですお母様。本を持ってきてよかった。私の永遠の友達。席についてすぐに読書を始めたが、それでも視線は感じる。あんなにうるさく喋っていたはずのに、ヒソヒソ声も聞こえる。

「ていうかさ、日本人なのかな?」

「でも日本語の本読んでるよ?」

「目おっきいよね、鼻も高い。」

遅刻すればよかった。まあ実は小学校時代、一度も遅刻をしたことが無かったのだが、そう思ってしまうほどに空気が重かった。押しつぶされてしまいそうだ。

 平穏に好きなように過ごせれば、空気と化してもいいやと思っていたが、現実はそうもいかない。入学式後、教室に戻ってすぐに帰宅…基、正門でカメラを持っているスーツ姿の「パパ」と真珠のネックレスを付けた「ママ」の許へ行き、写真を何枚も撮るのものだと思っていたが、その前にクラスで自己紹介をすることになった。どうせ一回で覚えられるはずもないのに、なぜ教師というものはすぐに自己紹介をさせたがるのだろう。名簿あるでしょ、どうせそのうち覚えるんだし勘弁してくれよと、ちょっとイライラしていたのを覚えている。昼過ぎだったからかもしれない。空腹だった。今も昔もだが、私は空腹になるとイライラしやすい。

 簡単に済ませよう。そして後からたくさん質問が来ないように、外国人だということは伏せておこう。私はそう心に決めて、自分の番が来たときのスクリプトを練った。
 目立ちたくはないが、弱そうには見えたくない。どこにでもいる普通の学生、でもって必要以上に絡まれない、そんなポジションを確立させたかった。同時に、姉が言う「いじめ」の可能性についてもすこし考えていた。今思えば、強がりな私のドデカいプライドに埋もれているだけで、本当は少なからず怖いと思っていたのかもしれない。
 
 すっと立って、簡潔に名前と出身小学校、趣味を教え、ひとこと「よろしくお願いします。」を添えて、着席。私はそれをとてもスムーズに実行した。やや遅れて拍手がパラパラと沸く。よし、完璧。シンプルイズザベスト。クラスメイト達がこちらを「何かすごいもの」を期待するような目で見ていたが、残念だったな諸君。私は所詮、イギリス人の父を持つだけのしがないモブなのである。

「ちなみに上條さんはどこの国出身なのかな?」

…は?え?何故?

 私は今簡潔に自己紹介を済ませて、椅子がまだ温かいうちに座ろうとしてて、後ろの席の人も自己紹介しようとちょうど立ち上がろうとしてたのに?視界の片隅で、後ろの席の女の子が、こっそりと腰を下す。気を使わせてしまって、何だかこちらが申し訳なかった。

 予想外の教師からの追い打ちの質問に若干うろたえて、中途半端に席から腰を上げた変な格好で「…イギリスです」と私は言葉を絞り出した。

「えー!かっけぇ!!」

「ハーフ?すごーい」

「羨ましい~」

 急に歓声が沸き上がった。式の前では完全に異端の存在を見ているかのような雰囲気だったのに、どうしたのだろう。いくらなんでもミーハーすぎないか。明らかに周りから受ける眼差しが変わり、私は焦った。恐怖で鳥肌が立った。目立っている。目立ちすぎなくらいだ。

 こうして、平穏な中学生活を送りたいという私の細やかな希望は、教卓に立つニコニコの悪魔によって打ち砕かれた。大人気ないと思われるかもしれないが、私は今もこの先生を許していない。一生恨み続けるだろう。
 

 長い自己紹介大会が終わってからやっと解散となり、私は学生カバンに読みかけの本をやや乱暴につっこんで、大急ぎで教室を出た。声を掛けられる前に急いで学校を出よう。明日は日曜日で、次の登校日まで一日空くので、クラスメイト達の盛り上がりが冷めるかもしれない。そんな叶うはずもないくだらない希望に縋るような思いで期待して、急いで校門に向かって早歩きをした。

「いじめなんか、されてたまるか。」

 はっきりと覚えている。正面エントランスに行きつく階段を駆け下りながら、私は誰にも聞こえないほど小さな声で、そう独り言をぼやいた。酷く焦っていた。まだ少し涼しいのに脇汗を感じる。そして酷くお腹が空いていた。あのときの、風邪をひいているときに見る夢のような気持ち悪さは、忘れもしない。

 両親は校門の前で私を待っていた。父はカメラをもって、珍しくスーツも来ている。普通の黒いスーツ。周りの「パパ」たちと、装備は何も変わらないはずなのに、大きな図体と金髪のせいで、酷く目立つ。大切にしているカメラが、父の手の中ではおもちゃにすら見える。周りはかっこいいと言ってくれるが、当時の私にとって、父は隠したい存在だった。申し訳ないと思いつつ、この日も本当は来てほしくなかった。

 母は高そうなスーツを着ていた。おしゃれにはとことん無頓着な母だが、大事な日には身だしなみをとても気にする。そして、絶対にパールのネックレスとイヤリングのセットを身に着ける。このセットは私の祖母の遺品であり、母はとにかく大切にしていた。幼いころに祖母は亡くなったので、その頃から家にあるが、しょっちゅう母はこれを眺めている。私にも時々見せてくるが、勝手に触ろうとすれば酷く怒る。幼いながらも私は、なんとなく「火事が起きたら、仏壇のお位牌とおばあちゃんのネックレスを両手に持って逃げよう。」と一人で決めていた。

 大事な日のためにめかしこんだ両親を思うと、申し訳ない気持ちもあったが、私は二人を通り過ぎて、校門を駆け抜けていった。写真は?という呼び止める声が聞こえたが、私はとにかく帰りたかったので、足を止めなかった。そもそも写真はあまり好きではない。撮られないならむしろ本望だった。

 🌸 🌸 🌸

 どちらかというと、私は昔から両親に忠実だった。私を何にもカテゴライズせずに接してくれる数少ない存在だったからかもしれないが、とにかく大切にしたかったし、そりが合わない時もあるが、基本的には言うことを聞いてきた。そんな私が珍しく指示に従わなかったので、気を使ったのか、両親は私を校門まで連れ戻すこともなく、後をつけてきた。帰り道は晴天で、風がやや吹いていたが、その効果もあって桜が舞い、綺麗な昼だった。反ってそれは、私のひん曲がった性根と身勝手さを際立たせているような気がして、より一層気が滅入った。

「何でそんなに静かなの。気に入らないことでもあったわけ?」

 両親と帰宅途中、母が私に聞いてきた。私は何も言わない。何も言えなかった。頭の中はとにかく「これからどうやってやり過ごそう」ということで一杯であった。

「不貞腐れた態度をとっているだけじゃ何もわからないだろう。」

父が苛立ちを見せる。それはそうだ。折角カメラを持ってきたのに、私は記念撮影を頑なに拒否したのだ。とにかくさっさと帰りたかった。

「ねぇ、どうしちゃったのさ。」

 母が何度も聞いてくる。いい加減鬱陶しくなってきて、私も段々とあからさまに不貞腐れだした。いいじゃないか二人は。純粋な日本人・イギリス人として生まれて、悪目立ちせずに青春を謳歌したのだろう。第一印象が「ガイジン」じゃなくて、しっかりと自分の個性を見てもらって、友達も簡単にできたんだ。私の何がわかるんだろう。大事そうに各々の宝を首からぶら下げてついてくる両親を、これほどまでに消えてほしいと思ったことはなかった。私はカバンから本を引っ張り出して、読みながら歩いた。母が危ないよと文句を言う。歩き読みは私の悪い癖だが、本は私の宝である。一人の時間が好きな私にとって、いつも逃げる口実になってくれた。
 それにしても足が痛い。急いだせいで余計に痛い。母はなんてったってこんな殺人的に硬い革靴を選んだのだろうか。余計にイライラしてしまう。

「あれ、上條さん?」

「え…」

 前方から声をかけられて本から顔を上げると、小学校の同級生とその両親がいた。緑色のリボンの真新しい制服。手には丸まった入学式のしおり。あまり可愛くないデザインだと言われていたが、私はその制服姿が少し羨ましかった。こっちにしてたらな。少なくとも面倒なことは少なかったと思う。

「あー確か…上西さん?こんにちは。そちらも入学式だったんですね。」

 追いついた母が挨拶をした。よく名前を覚えていたなと思う。この同級生とは何度か遊んだことがあって、家にも呼んでいた時期があったので、なんとなく覚えていたのだろう。母はなるべく保護者会などには顔を出していたが、他の保護者と群れようとはしないタイプだった。挨拶はするし、愛想もいいが、いわゆる「ママ友」は作ろうとしない。むしろ、私語ばかりの保護者達について「下らない。話すだけ時間の無駄。」と一蹴していたくらいだ。私の若干異端な部分は、母から来ているのかもしれない。

 少し言葉をかわす大人たち。私は同級生の顔を見て、気まずくてすぐに横を通り過ぎた。昔遊んだとはいえ、特別仲がいいわけでもないし、むしろ彼女のことは少し苦手だった。小学校時代、参観日にただ一人だけ大型バイクで来る保護者がいた。それがこのとき私の母と話していた彼女の父親だった。昔は「やんちゃ」を沢山していたそうで、そんな父親をその同級生はとても誇っており、小学校の休み時間に永遠に自慢する姿が、どうにも鼻について私は気に入らなかった。疎遠になったのも、口喧嘩が原因だったような気がする。話すこともないのでさっさと帰ろうと思った。家はすぐそこだ。あ、ちょっと、と言う母の声が聞こえるが、お構いなしに私は歩き続け、先に帰宅した。

📖 📖 📖

「あんな失礼な態度をとって。一体どうしたの。言わなきゃわかんないでしょ。」

 その日の夕方は永遠に両親から説教を受けた。何てうるさい両親なんだろう。いっそのこと悩みを打ち明けた方が静かになりそうだが、どうせくだらないと一蹴されそうだし、この頃は特に強がっていたので、私は何も言わなかった。今思えば、これが反抗期の始まりだったのかもしれない。次の日は、月曜日が来るまでのつかの間の平和を謳歌するつもりであったが、当然平和は来なかった。父は一日中機嫌が悪いし、母はそんな父を宥めながら、私にはコミュニケーションの重要性についてレクチャーしてきた。


 こういう状況はものすごく嫌いである。怒られていることよりも、家の中に味方がいないこの状況が息苦しい。しかも相手は大人二人だ。こういう時、両親を「両親」と認識せず、まるで第三者のように見る瞬間がある。対立すると、初めて気付かされる。「ああ、その二人って出生が全然違うんだな。」と。大柄なイギリス人の父と、ちんちくりんな日本人の母。この間に私は生まれたんだな、と気付かされ、そりゃ目立ちもするな、と妙に納得する。
 同時に、何だか両親が不思議な存在にも見えてくる。父は、普段は大人しいが、一度怒ると手が付けられない。しかも沸点が低い。大らかに見えて、実はすごく厳格で繊細な人である。はっきり言って面倒くさい。そんな扱いにくい父と結婚した母は、もっと恐ろしく見える。父より10歳も年下なのに、まるで20歳くらい年上のように振舞い、怒った父も簡単に手なずけてしまう。実は魔女なのよ、と言われても、私は納得してしまうと思う。
そんなわけで、この二体のバケモノから永遠に言葉の拷問を受けた日曜日は、日記を書く気も失せるほどに退屈で面倒な長い悪夢となったのだった。

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 月曜日、重い身体を引きずって登校をした。革靴なんかくそくらえだと思い、履き慣れたスニーカーに足を突っ込む。母は渋い顔をしたが、何も言わなかった。靴が違うだけでかなり楽になる。暖かい春の朝の風が足元をすり抜けた。気持ちいい。憂鬱なのに変わりは無いが、あの忌々しい殺人シューズを履くよりもずっとマシだった。

 この日は朝のHRギリギリくらいに教室に着くように計算して歩いた。信号が赤になるのを待って自販機を見るフリをしたり、白線の上を綱渡りをするように歩いたり、絶妙な時間を狙って学校に向かう。到着すると、正門の前でジャージ姿の教師が一人で立って、歩いてくる学生たちを急かしているのが見えた。

「ほらほら3年が遅れるな。」

「2年たるんでるぞ!」

 結構めんどくさそうな感じの先生だなと思った。遅刻常習犯っぽい上級生たちが、「センセーちゃーす」とか言って適当にあしらっている。それに対して「遅いぞ」などと𠮟るが、顔は笑っている。きっと、不真面目でも愛嬌のある学生が好きなタイプなのだろう。こういう教師が朝から校門の前で張ったところで、遅刻する生徒は減らないと思う。
 結局、ジャージの門番は私を見たが、特に何も言わなかった。

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「あっおはよう!」

「上條さんおはよう!」

 教室に入ると、何人かが挨拶をしてきた。びっくりしたが、何とか自然に「おはよう」と返す。挨拶してきた子たちは、にっこりと笑って、各々の仲良しグループのもとに戻っていった。「おはようって言ってくれた!」と小声で仲間に言っているのが聞こえてくる。私はペットショップのインコか何かか?
 よく見るとクラス全体が私をチラチラと見ている。わかりやすすぎるくらいに好奇心に満ちた目で。流石に日曜日を挟んでも忘れられることはなかったか、と落胆したが、少なくとも挨拶してきた子たちは、別に冷やかそうとしていたわけではなさそうだったので、まだいじめの段階まではいっていないことに少しほっとしたのを覚えている。

 初日の授業は、どれも小学校の問題の復習テストだった。実力でクラス分けをするためらしく、特に用意することもないので楽だったのを覚えている。その日も学生カバンには読みかけの本しか入れていなかった。

 この頃、私は哲学書に手を出していた。普段はSFや推理小説、英語の小説を好んで読んでいたが、小学校を卒業する少し前あたりから母が「そろそろアカデミックな本も読みなさい。」と言ってくるようになっていた。神保町で見つけたという3冊の哲学書を渡され、その日学生カバンに入れていたのはまさに母が選んだ3冊目の本であった。池田昌子先生の『14歳からの哲学 考えるための教科書』。今でも大切にしている本である。当時12歳だったので、少し早くないか、とも思ったが、実際に読むと面白かった。母の好みなのかもしれない。私と母は、本の好みがよく似ている。

 そんなわけで、休み時間の間、私は自分の席から一歩も離れず、その哲学書を読んだ。本から顔は一切上げず、ひたすらに自分の世界に逃げ込んだ。一瞬でも顔を上げれば、誰かしらと目が合うのである。本の文字と必死に向き合った。そうでもしないと、東西南北から「外国人」やら「ハーフ」やら、ヒソヒソと聞こえてくるのである。顔には意地でも出さないが、流石に怖かった。
 余談だが、このときは思わなかったものの、12歳のどこから来たのかもわからない少女が、すました顔で『14歳からの哲学』なんていう本を読んでいたら、それこそどう考えてもクラスで浮くだろう。高校生になってから初めて思ったが、よくそんな生意気なことが堂々とできたなと思う。昔の自分がよくわからない。

 必死に話しかけるなシグナルを教室中に発信し続ける私であったが、2時間目の後の休み時間、そんなシグナルも遮って声をかけてきた子がいるのである。

「ねえ、違う小学校から来たよね?」

 顔を本から上げると、ギャルがいた。それも5人くらい。肌は焼けており、スカートは膝上まで上げていて、髪は黒いが派手な編み込みを施していて、うっすらと化粧までしている。校則の厳しい学校だったので、ギャルはまず生息できないだろうと思っていたが、普通にいた。何とかギリギリ違反にならないラインでギャルファッションをしているようだったが、どう見てもアウトだった。ジャージの門番には賄賂でも渡したのだろうか。

 やや偏ったイメージを持たれやすいギャルだが、私も昔は偏見の目で見てしまっていた部分がある。軽い、遊んでばかり、不真面目、気が強い。私が苦手とするすべてを詰め込んだような人種だと、当時はとても敬遠していた。それが5人。このときは「やっば、目つけられた。」と思った。気分は完全にライオンの群れに囲まれたガゼル。だけど、なるべく顔には出さなかった。内心大パニックであったが、それを相手に知られれば、舐められると思っていた。

「何?」

 私は、いかにも「本を読んでいたのを邪魔して、何のつもりさ?」というようなトーンで返してしまった。どう考えても感じ悪かっただろう。自分の精神の器に収まりきらない巨大なプライドを、ここまで恨めしく思ったことは無い。

「もしかしてだけど、ハーフの子?」

もう一人のギャルが聞いてきた。背が高くてそばかすがある子だった。私は少しためらったから、「そうだけど」とだけ返した。

「まじ!やっば!すっごいね!」

5人が一斉に宝くじでも当選したのかと思うようなテンションで歓声を上げた。ありえないほどうるさい。教室中がこちらを見ている。もはや怖いを通り越して恥ずかしかった。

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「ねえ!友達にならない?」

真ん中のリーダー格っぽい子が私にそう言った。拍子抜けした。それだけ?というか、ハーフだから友達になりたいの?

「あ、上條さん、私も話したい!」

「俺の名前覚えてたりする?」

「英語ペラペラなの?」

「テストは余裕?」

 ギャルたちに返事をする前に、急に全方向から人が集まってきた。一気に皆話しかけてくる。まるで芸能人のような扱いだ。読みかけの哲学書は、こっそりと机の中にしまい込む。その日は家に帰るまで続きを読む隙が無かった。

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「どう?友達出来た?」

 夕食中、両親が私に聞いてきた。やたらとニュースの話や会社でのことを話しているなと思ったが、さりげなく私に新しい学校生活を聞き出すためだったんだなとすぐにわかった。いつもついているテレビが消えていたので、なんとなく普通の空気ではないことは察していたが。

「うん…何人か」

両親がそろって箸を持つ手を止めた。演技ではない素の反応なのが、反って腹立つ。

「え、何人もできたの?」

「よかったじゃないか。」

両親が嬉しそうに頷いて、箸を持つ手を再び動かせた。父が缶ビールを開けてグラスに注ぐ。母はご飯を口に運んでから、身の回りをきょろきょろと見て、部屋の反対側にテレビのリモコンを見つけては、肩を少し落として再び食卓に視線を戻した。揃いもそろって嫌になるほどわかりやすい両親である。

 結局その日学校では、残りの休み時間と放課後の15分ほど、話しかけてきたクラスメイト達と喋っていた。どうやら学年にハーフは私しかいないそうで、その珍しさから興味本位で話しかけてきている人たちばかりであった。内容も聞き慣れたようなものが殆ど。

「日本にはいつからいるの?」

「家では英語?」

「テストは簡単すぎ?」

「目大きいよね。」

「肌白い!」

「英語で何か言ってみて!」

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 日本とイギリスのハーフであることは説明済みである。それでも、誰一人として私を「日本人」と認識していなかった。完全に「異国人」の扱いである。日本に10年以上住んでいるので、そのような扱いをされるのは慣れているし、悪口を言われているわけでもないので、今更特に気にしてはいない。むしろ、姉の言葉に怯えていたので、いじめられることがなさそうで安心すらしていた。

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 だけど、こんなに笑顔で人が寄ってきているのが、「ハーフだから」ということに、当時は説明しがたい違和感を覚えていた。それは相手から「友達になろう」と言われると、更にはっきりと大きな疑問となった。ハーフだから友達になりたいのか。逆にハーフじゃなかったら、声すらかけてこなかったということなのか。そんなモヤモヤが心を支配して、笑顔こそは作るが、私は「友達」がたった一日で何人もできたということを心から喜べなかった。

 友達の大切さはよくわかっているつもりだ。だからこそ、人数よりも、自分のことを理解しようとしてくれる人が良いなと思っていたし、そんな人が一人でもできたら充分だと考えていた。中学一年生にしては、「友達作り」についてはかなり大人びた考え方をしていたと思う。

 ただ、そのうち周りもちやほやしてくるのに飽きて普通に接してくるようになるだろう、と考えて、入学後の数か月は耐えた。思っていた通り、夏が来た頃に、クラスメイトからのミーハーなアプローチはかなり落ち着いた。たまに特別扱いをされてしまったり、他クラスなんかは中を覗くだけでヒソヒソ言われたりしたが、少なくとも普段の学校生活に支障をきたすほどのことはなく、比較的穏やかだった。幸いにも、私のことを「ハーフ」とか「外国人」というフィルターをかけずに接してくれる友達も一人できた。若干ぶりっ子でナルシストな子ではあったが、対等な関係を築けたし、喧嘩も何回かした。今でもたまに連絡を取り合う仲である。

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「あーよかった!心配することなかったね。」

 入学から少し経って、電話で姉に連絡をすると、受話器の向こうから安堵の声が聞こえた。友達ができたこと、特にいじめは無さそうだということを、わざわざ電話で伝える必要もないかもしれないが、高校受験を控えていた姉に余計な心配はさせない方がいいだろうと考え、手短に伝えることにした。

「お姉ちゃんは中学でいじめられたことあるの?」

「いや?別にないかな。」

あんなに心配していたので、ひょっとしたら悪い思い出でもあるのではないかと恐る恐る聞いてみたが、拍子抜けするほど軽いトーンでそう返された。

「なんだ。じゃあなんであんな不安を煽るような忠告したのさ?」

「私はたまたま周りにハーフへの理解がある子が多かったし、あなたと違って英語話せないから、実質純日本人と変わらないし。見た目は派手だから、いろいろ言われることもあるけど。でも学校によって結構違うから、もしも、って思ってね。」

「あれ、でもそっちの中学でもいじめがあったとか言ってなかったっけ?」

「あれは私じゃなくて、違う生徒。というか別の学年。ただまあ、クラスで浮いたり、マイノリティだったりすると、標的にされやすいから。

 なるほど。姉とは2つしか違わないので、見えている世界に大きな違いは無いと思っていたが、彼女は私よりも多くのものを見てきたのかもしれないなと思った。


 姉は私と違って、いつも余裕があった。おっちょこちょいで頭は良くなかったけれど、愛嬌があって人生の立ち回りは上手かった。いわゆる世渡り上手。敵が現れても、5分後には肩を組んで一緒に笑っているような人だった。
 対して私は、目の前の現実といちいち真剣に向き合うタイプで、くだらない小言や突っかかってくる人はスルーするけれど、決して笑い飛ばさない。気にするだけ時間の無駄だと解っていながら、負けるもんかと静かに燃えているような子供だった。生真面目で、前しか向かない。もっとも、今思えば親の影響が強かったような気もするが、とにかく、のびのびとした姉よりも余裕は足りなかったし、そのせいで視野も狭かったのではないかと思う。それを当時電話をしながら悟って、少し悔しく感じたのを覚えている。

「でもすごいじゃん。入学してすぐに友達いっぱいできちゃうなんて、本の虫のあなたにしては大進歩じゃん。」

 親もそうだったが、私が沢山の友達を作ったことに対して、姉も驚いているようだった。けれど、やっぱり素直に喜べない。

「本当に友達なのかな?」

 私は姉に、自分の中の疑問を打ち明けてみることにした。姉にこんなに沢山の質問を続けてしたのは初めてだった。私はこのときほど姉に甘えた瞬間を思い出せない。

「皆、あからさまに私をハーフだと知って、興味を持って接してきて、ほぼ一方的に今日から友達だ!って言ってきたんだけど…友達ってそんなもん?私自身の魅力とかよりも、ハーフだから、っていう理由で気に入るのって、本当に友達なのかな。

姉はうーん、と考え込んだ。しばらく黙ってから、今度はええ~、とか声を出して、更に考えた。誰とでも友達になってしまう姉からしたら、考えようとも思わないナンセンスで退屈でどうでもいい事だったのかもしれない。むしろ注目を浴びることは良いことだと考えている。

「全員そうだったの?」

「いや、一人だけ趣味のあった子がいた。すっごいぶりっ子だけど、いい子だよ。」

例の友達を挙げてみた。本当にその子くらいしか、胸を張って友達だと断言できる子がいなかった。

「じゃあその子は間違いなく友達じゃん。いいじゃん一人いれば。他の子はお手並み拝見ってことで!」

なんだそれ、と思った。絶対適当に返しただろう。でも、姉も私と同意見だったことには、少し安心した。確実に友達と呼べる子が一人いる。それで充分。あとの子たちが本当の友達かどうかは、自分でゆっくり考えて決めよう。


 こうして緊張感漂う私の中学校入学は、結局大きな修羅場もなく平穏に過ぎ、緊張の糸はぷっつりと切れた。いじめもないし、苦手なギャルとまで交流をした。
 しかし、「友達とは何なのか」、それから、小学校の頃とは違う「ハーフとして周りから受ける印象」について、深く考えさせられるような幕開けでもあった。今でも、この疑問について考えることがあるけれど、初めて向き合った新しい壁として、中学生活の始まりは、私の中で色濃く残り続ける思い出なのである。

著者:上條ロミ

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