田舎と街のコミュニティ


あけましておめでとうございます。

公私共に、まさに怒涛の如く過ぎていった12月が終わり、半月遅れて年末を感じている中谷です。今年もニ商(ニューコモン商会)をよろしくお願い致します。
さて、やっと落ち着いてきた今日この頃。ふやけた脳のリハビリに、少しずつインプットを増やしていかねば…と思い、2022年最初の読書を敢行しました。
タイトルはMEANINGFUL CITY MAGAZINE Vol.1 - COMMUNITYです。

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実はこちら、昨年12月に天竜へ訪れてくれた、高林さんの森ビル時代の同僚、山崎正樹さんが執筆チームにいらっしゃって、ご紹介頂いたものでして。深夜0時を回ってからエンジンのかかった山崎さんのお話がめちゃ面白かったので、これは書籍も面白いに違いない!!と思い、翌日あたりにポチりました。
現在3/4くらいまで読み進めているのですが、様々な思考を想起させる内容なので、1p読んではボーっとして、また1p読んではボーっとして、まぁ中々進まず。感想は後にとっておくとして、とりあえず備忘録も兼ねて、今のうちに一言メモだけでも残しておこうと思います。

メモ

街の魅力は、個々人の「分かり合えなさ」をそのままに包容してくれるコミュニティの多様性にあるなと思う。
商店にフォーカスしただけでも、その数は膨大だし、その数だけコミュニティもある。僕たちはその中から自分の気に入った店とコミュニティを選択できる。お気に入りの店でトラブルに巻き込まれて気まずくなっても、コッソリ別の店を探して、そこに入り浸ることだってできる。
浅くも無いが、深すぎもしない関係性を築けることは、とても心地よい。

一方で地方に目を向けてみると…

昨年、地方コミュニティの文脈で記憶に残っていることといえば、島原万丈さんの地方創生のファクターXでも語られている、寛容性というキーワードだった。

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地方はそのリソースの少なさ故に、自身が所属するコミュニティの選択肢が極端に限られている。
結果として、個々人の「分かり合えなさ」を包容できず、寛容性の低下に繋がるのだろう。
悟りを開かない限り、何人も承認欲求から逃れられないことは自明の理だが、人々の嗜好や価値観が細分化されつつある今、保守的で選択肢の少ない田舎で自らの価値観を共有し、承認欲求を満たすコミュニティなどあるはずもなく、結果、出る杭は打たれる法則によって、思考やライフスタイルさえも平準化を強いられるのは、拷問に近いのかもしれない。

また、人口減少フェイズに入った日本の地方においては、物理的な場を媒介とした新たなコミュニティを作ることは困難を極める(フロンティア精神あふれる猛者達による、商店街の復興などの一部例外はあるものの)。
地方創生の~でも結論づけられているとおり、寛容性の低い地域に若者は寄り付かない。結果、地方は人口減少でも、少子高齢化でもなく、その寛容性の低さによって倒れることになるのかもしれない。

ということで、これからは冒頭に述べた「街の魅力」をテクノロジー・あるいは何らかのテクニックを用いて実装した「開かれた田舎」的な地方が跳ねるんじゃないかなぁと想像しました。(具体的な像を結ぶにはまだまだ解像度が低く、ここでは語りきれないのですが…)

それを実現させるには、地元民と都市部の人間、あるいは地元民と地元民を繋ぐアダプター的な人間、場、そしてそれらをドライブさせる仕組みを作ることが重要なのかもなー…とも。この部分は近いうちにまとめたいと思います。

まぁなんにせよ、そろそろ減り続ける人口のπを奪い合う話は終わりにして、エリアにおける人の流動性を高め、そこから地域の持続可能性を高めるにはどうしたら良いのかを考える時期なのかもしれませね。

うーん、今回もイマイチまとまりきらなかったですが、ご容赦ください…

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