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Eric Martinが送ってくれた「My Kindred Spirit」という宝物

「サンフランシスコに行ってきてくれ」

….社長から信じられない一言が飛び出したのは1996年の夏

聞けば、世界的ヒットソング「To Be With You」で知られるアメリカのロックバンドMr.BIGのボーカリスト、Eric Martinがその時の事務所所属アーティスト「須藤あきら」をプロデュースしてくれる、という話。


Mr.BIG…懐かしい!
バークリーを休学して1年通っていたLAの「Musicians Institute」でギターを教えていたのが、Mr.BIGのギタリストのPaul Gilbert。
学校の授業でのバンド実習、ギターソロでは噛んでいたガムをギターの弦につけて「ビョーン」とガムを伸ばして、生徒を爆笑の渦に巻き込んでいたあのPaul Gilbertがギタリストを務めるMr.BIG。
ベーシストのBilly Sheehanも当時世界最速と言われるなど、超絶技巧バンドで知られるMr.BIGのリードボーカルのEric Martinがプロデュースしてくれる…凄すぎる!

久しぶりにアメリカ、それも世界的ボーカリストとの仕事で長期滞在...もう狂喜乱舞だったことを覚えています。


素晴らしすぎるミュージシャンとワクワクの環境


サンフランシスコに到着。
サンフランシスコには、LA時代に一回観光で来て以来、かれこれ10年ぶりくらいだったと思います。

かの有名なゴールデンゲートを渡るころには「あぁアメリカに戻ってきた!」という懐かしさと嬉しさが入り混じった感情がマックスに。
でも同時に、仕事だ、それもEric Martinというビッグネームとの仕事、会社や社長の信頼にも答えなければという責任感に身が締まる思いも起こっていました。

レコーディングスタジオはスティービーワンダーも使ったというTHE “PLANET” STUDIO、そこでEric Martinと出会いました。
会ってみてビックリ、「若い!」のです。1960年生まれなので私より年上のはずですが、どうみても20代にしか見えません。
「I LOVE COVERSE」というほどスニーカー好きでファッションはまるでティーンエイジャー。
スーパースターにもかかわらず気さく、また何回も来日しているせいか、UCCの缶コーヒーが好き、ファンからプレゼントされた鉄腕アトムのTシャツがお気に入り、とかなりの親日家でした。

さっそくレコーディング開始ということで、まずはレコーディングに参加するバンドと一緒にリハーサルを行う事になったのですが、
場所はスタジオではなく古めかしい倉庫。
「倉庫」という場所が逆にアメリカっぽく、まるで映画のワンシーンを撮影しているかの様な楽しい感覚で行うことができました。

参加ミュージシャンがこれまた豪華、マライヤキャリーのツアーにも参加しているドラマーGIGI GONAWAYのタイトで深いビートにびっくりしましたが、一番驚いたのはEric Martinの「ギター」でした。めちゃくちゃリズムが良いというか「うまい」のです。
聞けば元々ドラマーだったということ、ボーカリストに「リズム」は大事ということが後々わかってくるのですが、その原点は「Eric Martinのリズム」だったのです。

いよいよスタジオでのレコーディング開始。
これまた驚いたのがレコーディング時間でした。
それまでの日本でのレコーディングでは、午後1時に開始、そのまま朝まで、下手したらそのまま昼まで24時間スタジオにいる、ということも珍しくなかったのですが
午前10時に開始、どんなに遅くても夜20時には終了、とそれまで日本で行なっていたレコーディングとは違い「健全」なレコーディングだったのです。
短時間に集中して行う...野球のメジャーリーグでも超短時間の練習、日本からのプレーヤーも驚くようですが、これも日本人とアメリカ人の違いでしょうか。

時間をかけないと良いものが出来ない...と思っていた日本での音楽制作の姿に疑問を抱くと共に、音楽本来の楽しさを思い出せたような感覚がありました。

シンプルに「楽しい」のです。


ERIC 「おまえは日本人じゃないみたいだ」


でもレコーディング現場では毎日ERICとは「バトル」していました。
ERICにとってははじめてのプロデュース、という事で慣れていない事も多かったと思います。

例えば、歌入れの最中、ディレクションとして「今は音程は気にしなくていいから、ニュアンスを重視して歌って」とERICは須藤あきらに伝えていたのにもかかわらず、そのことを忘れててしまって「そこの音程をもう少し安定させて」などいい始めたり...コロコロと方向性が変わってしまう事も良くありました。

そうなると、CoProducerとして、通訳の立場としては須藤あきらに正しい方向に導く必要があったので「ERIC、さっき言ってた事と違うんだけど」と言うしかないです。

「あっそうだった、ごめん」とすぐさま謝ってくれる事が殆どだったのですが、それ以外の事でもよくぶつかったので、ほぼ毎日バトルをしていました。

でも、次の日はお互いリセット。
わだかまりを持つことはなかったです。

私は、恩師でもあるギターのBill先生にも「意思表示はハッキリ」と鍛えられた事もあり、久しぶりのアメリカの地、相手はアメリカ人となると、本来の「思った事を言う」性格を思う存分出せたので、今から思えばそれが良かったのかもしれません。

ERICにも「お前は日本人じゃないみたい」とよく言われていました。

ボイトレの意味を考える切っ掛けになった出来事


そんなレコーディングの中のある日、ERICが「俺が子供の時から演っていたライブハウスが今日で閉店でその最後のライブを今夜演るので観にくれば」と誘われたので観に行きました。

さすがにサンフランシスコ、元ジャーニーのギタリスト、ニールショーンのバンド等がガンガン演奏していて、どのバンドもレベルが高くて凄いと思っていた中、ライブのトリを飾るべくERICがステージに立ちました。

そして彼ERICが発した第一声、「衝撃」でした。
それまで演奏していたバンドのボーカリストも皆上手かったのですが、ERICの声は次元が違っていました。

まるで彼だけ特別なマイク、アンプを使っているかのような圧倒的な「抜け」「声量」「音圧」...言葉にするのは難しいですが、私が今までに聴いた事がない「声」でした。
それまで演奏に関してはバークリーにいた時に凄いプレイヤーに出会った事はありましたが、「声」に関しては今までERICのようにゾクゾクするような衝撃的にすごい声を聴いた事がなかったです。

衝撃を受けると共に、「ボイストレーニングの意味」を考える様になりました。
キーボードを使ってのスケール発声練習、カラオケに合わせて歌を歌って貰い、それにアドバイスするだけでERICのような「声」が出せるようになるのか?
そのような「いわゆる」なボイストレーニングをやっても「うまい歌」は作れるかもしれませんが「すごい歌」にはならないと。

本気で「歌」を「声」を考えている人には、どうせなら「ERICみたいにゾクゾクするような凄い声」を出せるようになってもらいたいと思うようになりました。

それには生まれ持った「本当の声」を出してもらうこと、そしてその声を武器に自由自在に歌を楽しんで貰うこと
…そのサポートを行うのが「ボイストレーニングの意味」だと思う様になりました。

ERICとの出会いは、現在に繋がるその後の私のボイストレーナーの根幹の部分に大きく影響を与えてくれたのです。


私はつくづくラッキーな人間だと思っています。
楽器においては「小曽根真さん」
歌においては「Eric Martin」
という「ホンモノ」に出会え、その真髄を味あわせて貰えたからです。


My Kindred Spirit


サンフランシコでのERICとのレコーディングの最後の作業が終わった時に、ERICに呼ばれました。
「おまえがいなかったらこのレコーディングは出来なかった。その感謝の気持ちを込めてCDに入れるおまえのクレジットは”My Kindred Spirit”にさせて欲しい。"Co-Producer”以上の仕事をしてくれた。」
と言われました。

「My Kindred Spirit!」…なんか凄いクレジット、日本語に訳すと「同志」「心の友」という意味なのですが、
アメリカ人の友人に聞けば、「素晴らしいクレジット、本気で友だと思ってくれているということだ」と。
あのEric Martinにそんなに評価して貰えて本当に嬉しかったですし、私にとっては「宝物」といえるものです。
(毎日ケンカばっかりしてたのに…)

レコーディング中、隣のスタジオでは、あの「Van Halen」を脱退したばかりのボーカリスト「Sammy Hagar」がレコーディングを行っていました。
聞けばERICとは、お互いのレコーディングの参加し合うほどの親友ということで、紹介して頂きました。
「Van Halen」の「Sammy Hagar」…日本にいては絶対会えない凄い人にも会えて、そういう意味でも最高の思い出のレコーディングとなりました。

ERICはその後、その歌唱力が認められて日本でベストセラーになったカバーアルバム「Mr. Vocalist」を発表して人気を博しましたが
ハードロックボーカリストである彼が、「バラードの達人」と評価されたというのも、やはり「ホンモノ」だったということですね。
その後ERICとは、来日の際には会うこともありましたが、変わらぬ人柄、変わらぬ「若さ」で、嬉しかったです。

次回はサンフランシスコから帰国後、またまた人生のターニングポイントが訪れたので、その辺りのことを書かせて頂きます。

CoProducerとして参加した須藤あきらのアルバム「UNITE STATE OF MIND」

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