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【自己紹介④】心から音楽の楽しさを味わったLAでの時間

▼ 前回までの自己紹介 ▼


バークリーでの授業中、それは突然頭に浮かびました。

「LA...ロスに行きたい!」

自分でも驚きましたが、頭のなかで突然そう湧いてきたのです。


バークリーの授業は素晴らしく、またボストンという街も好きで何も問題なかったので自分でも不思議でしたが、今から思えば「運命」というか「導き」だったのかとも思います。

もちろん、バークリーで一緒で、先にバークリーを卒業してLAに移っていた親友のギタリスト山口英次さんの影響もありました。
彼から電話でLAでの話を聞くにつれ、ボストン以外のアメリカ、特に西海岸への憧れも出てきたのだと思います。

あと1年でバークリーを卒業、という時期でしたが休学申請を提出、「1年でボストンに戻る」と決め、1年で修了できる音楽学校として「Musicians Institute」通称「MI」への入学を決めました。

【Musicians Institute】

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ジャズのバークリーに対して「Musicians Institute」はフュージョン、ファンク、ポップス、ハードロック...などまさにオールジャンル、先生も、

Mr.BIG ギタリストのPaul Gilbert
チックコリア・エレクトリックバンドのScott HendersonやFrank Gambale
ジャズギタリストのNorman Brown…

など第一線で活躍しているミュージシャンも多数、とても刺激的でした。

バークリーのテンション感やスピード感とは別物、西海岸の「開放的」という言葉がぴったりくる学校で、学校のエントランスでクレジットカードのような学生証をセンサーに読みとらせて終わり、出欠などは取りません。

また生徒ひとりひとりにロッカーが与えられ、登校したらギターケースはロッカーに入れ、ギターはストラップして肩にかけて校内を持ち歩く、というスタイル。「あぁ別世界のアメリカに来てしまった」と実感したのを覚えています。

またある時、先生であるPaul Gilbertがギターを弾くというので、黒山の人だかり、みんなプレイに釘付けという感じだったのですが、ギターソロでPaul Gilbertがギターを頭上に持ち上げたので、「あっ歯で弾くんだ!」と期待した瞬間、噛んでいたガムをギターの弦につけて「ビョーン」とガムを伸ばしたのを見てみんな大爆笑!

...バークリーでは絶対に見られない光景にあっけに取られましたが、良くも悪くも音楽は自由、楽しくやればいいんだ、と改めて思えるようになりました。今でも鮮明にあの日のPaul Gilbertの「凄いギターソロ」が脳裏に焼き付いて離れません。


「Musicians Institute」は主にプレーヤーを養成する学校、バークリー時代よりギターを弾く時間が増えました。
一番好きだった授業は「Open Counseling」、マンツーマンレッスンの形態ではあるのですが、一人ずつお目当の先生の部屋に行き順番を待って、先生と一緒に演奏してもらう、というレッスンというよりセッション、まさに「オープン」な内容でした。

素晴らしい先生ばかりでしたが、一番楽しかったのはチックコリア・エレクトリックバンドのScott HendersonのOpen Counselingでした。

Scott Hendersonのギターは気迫の塊のようなプレイで、一緒に弾いていて「引っ張られる」感じ、自分が上手くなったのではと錯覚させてくれる時間でした。もの凄い早弾きや超絶テクニックなどギタリストとしての技術もすごいのですが、それにも増して人間性が素晴らしく、良い意味で「普通の人」、下手くそな生徒にも「人」として接してくれたのがとても嬉しかったです。


【Scott Hendersonと】

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Musicians Instituteでは、先生以外にも刺激的なミュージシャンも多く、その後、矢野顕子さんのプロデュース、MICHEL CAMILO TRIOのドラマーとして活躍のCLIFF ALMOND始め、たくさんの友人もできました。


【CLIFF ALMOND(左から2番目)と】

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学校でトップクラスの人達をスカウトして、当時テレビ番組で流行っていた「MIAMI VICE」をもじった「TOKYO VICE」いうバンドを作ったりと、バークリー時代よりアクティブな毎日を過ごせて充実していました。


でも、なぜか自宅に戻ると、ギターを弾く時間より作曲する時間が増えていました。
ギターを弾くためにプレイ重視の学校に行ったのにもかかわらず、曲ばかり作っているのが自分でも不思議ではありました。


そんな時、リトル東京にある日本の書店「旭屋書店」で立ち読みした「ギターマガジン」で「その人が寝るのも忘れ、食べるのも忘れ没頭していることが、その人が人生かけてやることである」というギタリストのCharのインタビューを読み衝撃を受けました。
「まさ今の自分だ!」と。

作曲しているときは、まさにそんな感じ。時間が経つのを忘れてしまうくらいに集中、そして楽しい時間だったのです。

高校2年の夏に「音楽の道に進む」と決断したものの、漠然とした道を歩んでいたように思います。
バークリーを休学してLAに行こうと思ったのも、心の底で「真面目に良い成績だけ目指しているだけではダメだ」という葛藤があったからだと思います。そんな心の中の霧がCharの言葉で一瞬で晴れました。
そうだ「作曲家になろう!」...初めて具体的な道が見えた瞬間であり、新たな決意の時でもありました。
バークリーの授業中に浮かんでしまった「LA行き」は、この決意に繋がる事だったんだと改めて思えるようになりました。

一年でMusicians Institute卒業。卒業コンサートに出演するにはオーディションを合格しなければいけませんが、「TOKYO VICE」は見事合格、コンサートのトリを飾らせて貰いました。この時は助っ人で、ルームメイトであった山口英次さんにも参加して貰いました。


【「TOKYO VICE」卒業コンサート 】

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【 Norman Brown(右から2番目)と 】

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この一年のLAでの生活は、私にとってとても大きな経験でした。あのままバークリーにいたら、きっと作曲の道には進んでいなかったと思います。
それ以来「頭に浮かんだこと」は大事にするようにしています。ほんの一瞬のひらめきやイメージが、その先の未来を作ってくれる...ということをLAでの日々は教えてくれました。


次回はボストンに戻りバークリー卒業までの濃密な日々を書こうと思います。


小泉 誠司

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