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【自己紹介⑥・番外編】ルーズな日本人

▼前回の自己紹介▼

外から見た日本人

バークリー音楽大学を卒業後、帰国。
その前に、今回は私の人生の礎にもなったBoston郊外Peabodyでのビル先生と過ごした時期のことを、「アメリカ留学番外編」ということで書かせて頂きます。

【ビル先生と娘さんとドーベルマンのサマンサ】

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ビル先生はバークリーに入学した時、最初に習っていたギターの先生です。
先生は沖縄で米軍バンドに在籍していたこともあり、日本や日本人の事をよく理解してくれていました。

入学したてでアメリカにもバークリーにも馴染めない私に対しても、色々気遣ってくれて、私にとっては父親のような存在でもありました。
そういうこともあり、一時期先生の家に住まわせて頂いていました。

先生からはギターは勿論、人生における大切な事を多く教わりましたが、驚きと共に理解することも多かったです。


一番衝撃的だったのは
「日本人はルーズだ!」

この言葉をビル先生から聞いた時、「えっ!正直、アメリカ人には言われたくない」と思いました。

でも話を聞いていくと「なるほど」と。

「授業に1,2分遅刻してくる日本人の生徒は多いんじゃないか?」
とビル先生。
さらに「その人たちは、何も言わずスーっと席に座るはずだ」
「アメリカ人の生徒の中には、もっと遅れてくる人はいるけど "I'm sorry” と謝りながら入ってくるだろ?」と。

確かにそうだ。
日本人はアメリカ人みたいに10分以上も遅れてくる人は少ないけど、確かに謝らない。

ビル先生の言う通りでした。

先生曰く...
私は日本人の他人を敬うところや真面目なところが大好きだ。でもあえて言わせてもらう。
日本人は大きなミスや失敗は少ない、でもどこかで「これくらいなら大丈夫」と少しの非は認めないところがあるんじゃないか?
、と。

この国では、時間とお金にルーズな人間は「人間がルーズ」と言うことになるので、注意した方が良い。
日本人は基本が真面目、だからこそ、そのルールに関して甘くなる事がある。

ガーーーーーーーーーーーン!

今まで自分も含めて日本人は真面目だと思っていたので、ビル先生の言葉には大変驚きました。
それも赤信号を平気で渡ってしまうアメリカ人に言われるなんて、心外だ!と最初は思いました。
でもよく考えてみると、授業でも殆どのアメリカ人は授業開始のかなり前から教室には到着していて、遅刻してくる人は稀で毎回同じ顔ぶれ、いつのまにかそういう一部のルールを守らない人を見て日本人は真面目、と思ってしまっていたのだと気付きました。

アメリカ人のトップの人は、本当にトップなのです。ガリ勉をしている訳でもなく、普通に成績も優秀、時間も厳守、人間もサイコー...「まさにベスト」、そんな人を多く見ました。
そんなベストを目指す人と比べてみると確かに日本人は「これくらいなら」とどこかで線を引いてしまっているのではないかとも思いました。

「大丈夫」より「ベスト」、そして「謝ることにもベストを尽くすことが大切」だと
そして「外から見た日本人」を学ばせて頂きました。

【冬のPeabody】

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英語を話す上で一番大事なこと

別の話。
ある時ビル先生と一緒にテレビを観ていました。
日系人の俳優が出ていたのですが、「彼の英語の発音は素晴らしいが、我々白人の英語とも違うし黒人の英語とも違う。でもそれが英語。この国には色んな人種や移民がいる。一番大事なことは伝わること」と先生は言われました。

なるほど!

ネイティブな英語を話す日系人でも、白人や黒人とは違う英語になるのなら、無理して白人や黒人の英語にしなくても良い、
それよりも「伝わる英語」を話したい
と思うようになりました。

もちろん発音は大事、でもそれよりも大事なことは
前回の記事でも書いたような、「お前のBUTが嫌いだ!」といったアメリカ人の考え方や心。(下記参照▼)


言葉だけが英語になっても、英語を話す心になっていないと、本当には伝わらないのだと思いました。


・会話の随所に相手の名前を入れる
・YES,NOははっきり
・NOの場合は、なぜNOなのかをその理由も説明
・身振り手振りで話す
・声をしっかり出す

…アメリカ人は相手に自分の意見が伝わるためのベストを尽くしているように思えました。

日本人とアメリカ人、どちらが正しいか、というより「郷に入れば郷に従え」、せっかくアメリカにいるなら、食わず嫌いをしていては損なので、私が思うアメリカ人の良いところを積極的に取り入れるように心がけるようになりました。

私は若い生徒さんには、「日本だけでなく世界に通用する人になって欲しい」とよく言っていますが、私自身、ビル先生から学んだ事で、色々な国の人と無理なく接っする事ができるようになって「得した」からです。


ビル先生との日々は、現在にいたる小泉誠司という人間を形成するにあたり「核」になっています。
ビル先生と出会っていないと一生気付かなかったこと、まさに私にとっての「宝物」と言えます。
でも、それでもその当時はビル先生の本意が本当に意味では理解できていなかったことも多く、帰国後何年も、そして何十年も経ってから気づいた事も少なくないです。

私のビル先生との体験は、指導する立場になってからも役立っていて
必ずしも完全には理解できていない生徒さんがいても、本当に大事なことは焦らず理解してもらえるように努めています。


【ビル先生の家と私の最初の愛車シビック】

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小泉 誠司

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