見出し画像

変わることができないのは「精神的な死」が怖いから

こんにちは。いろさいです。

前の記事で、「自分の人生を生きる」ためには「决める」ことが絶対不可欠である、ということを書きました。

私はこれまでに、「自分は変わるぞ!」と決めていろいろなことをやってきました。しかし、それでもなぜか変わることはできずに悶々としていました。そんな中、大打撃な出来事が自分に起こることで、再度「絶対自分は変わるぞ!」と決意し、そのことで自分の根本を変える道標が出てきました。

で、瀕死状態の中で自分を変える!と決意してから、無我夢中、ガムシャラに自分を変えていく中で、「私が私でなくなる感覚」というのを何度か味わうことになりました。これはどういうことかというと、今まで「私」を構成していたものがどんどん崩れていく状態を指します。今まで好きだったもの、習慣、感じ方、癖、考え方、信念、生活スタイル、人間関係がどんどん壊れていくのです。当たり前です。だって今までの自分を変えるためにやっているのですから。

しかし、その時私はとてつもない「怖さ」を感じました。今まで拠り所にしてきたものが崩れるので、内面的な軸がなくなるのです。家でいうと柱がなぎ倒される状態です。自分が保てなくなる、立てなくなる状態というと伝わるでしょうか。こういった、自分が自分でなくなる状態に私は正直、とてつもない恐怖を感じました。私は一体どうなってしまうのだろうか?と。

そんな状態を内観して、私は「これは精神的な死だ」と感じました。今までの自分がいなくなる=死ということです。誇張的表現に見えるかもしれませんが、正直私は「自分が精神的に死ぬ」と感じました。死ぬのは怖いです。そしてこの時、私は人がなかなか変わることができないのは、この「精神的な死」がとても怖いからではないかと思ったのです。

例えば、今までの自己概念が「自分のことが嫌いだ」とします。そしてその自分から「自分のことが大好きだ」という自己概念に変えようとします。その際、「自分のことが嫌いだ」という自分はいなくなることになります。なぜなら「自分のことが嫌いだ」という自分と「自分のことが大好きだ」という自分は同じ世界に存在することができないからです。「自分のことが大好きだ」という状態に変わるということは、今までの自分を手放す、つまりもっと強い言い方をすると「自分のことが嫌いだ」という自分を「死なせる」ことになるのです。

で、「自分のことが嫌いだ」→「自分のことが大好きだ」に変わると、当然今までの自分のあり方がガラッと変わります。「自分のことが嫌いだ」として生きてきた、自分が好きだった小説・漫画・アニメ・ドラマ・映画・エンタメ全部が、ある時全く面白くないと感じるようになる。逆に今まで毛嫌いしていた情報がしっくりくるようになる。今まで心地よいと感じていた人間関係に居心地の悪さを感じるようになる。今まで「こうしなければならない!」といった自分を作り上げていた信念が無意味なものだと感じるようになる。がっしり掴んで離さないようしていたものがガラクタと思うようになる。「自分のことが嫌いだ」として生きてきた中で構成されてきた、あらゆる自分が崩れていきます。こういった体験は自分の心の拠り所が無くなり、とても不安になります。何に掴まって歩いたら良いのかフラフラ状態なのです。本当に上手く歩けないような感覚に陥ります。戸惑いと怖さが私を襲ってきます。

こういった時、この「精神的な死」が怖くてこれ以上味わいたくない!と思えば、「自分は絶対変わる!」という強い決意がなければ、前の自分に自然に戻るようになります。結果、変わらない自分を選ぶことになるのです。なぜならそんな「精神的な死」なんて怖い思いをしたくないからです。特に自分は変わらなくていいかと少しでも思ったら、そんな「死」をわざわざ選ばなくても良いわけなんですよね。

でも窮地に陥った人は戻る道がありません。私の場合は瀕死状態だったので、過去の自分に戻ることもある意味「死ぬ」ことを意味していました。どっちを選んでも「死」しか残っていなかったのです。なら、まだ新たな希望をかけられる余地がある「変わる」という精神的な死のをを進むしかなかったのです。それほど強く今までの自分に戻りたくないと感じていました。

現代社会は「死」というのを忌み嫌っています。そのことが余計に「死」に対して恐怖や恐れを抱かせているのではないかと思います。私は過去にうつ病になったことがあり、このときに本格的な「精神的な死」を味わった経験があります。一度経験していたから免疫がついていたのかもしれません。人間は経験の生き物なので、一度経験すると抗体ができます。「精神的な死」も人生の転換期に何度か起こるかもしれませんが、一度経験してそれを自分のものにできれば実は怖いものではなく、それは自分を大きくチェンジさせるギフトであると捉えることができるようになります。

私は、「自分の人生を生きるために自分を変えるぞ!」と思うすべての人が「精神的な死」を経験する、経験すべきだとは一切思いません。しんどいことを無理に選ぶ時代は終わったと感じています。ただ、「変わる」ということは今までの自分を手放す=死ぬ、ということをわかっていないと、結果永遠に変わることができないと感じています。「死ぬ」という強い表現をあえて使うのは、まるっきり自分が変わることを意味するからです。死んでまた生まれ変わるのです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?