監視か見守りか?見えないもの

私の身の回りに起きた見える世界と見えない世界の間の出来事。

不思議と感じるのですが、私達は見えるものしか信じる事が出来ない。見えないものは証明できない。

私は3児の母でもある。父や母は・先生や人生の先輩方は子供の成長を側で見守っている存在でもある。それは日々大きくなっていく子供が一人前の大人になるように家庭の中・学校の中・生活の中で学びと気付きを教える場がある。けして甘やかすばかりではない。

悪いことをしたら怒るし、悲しんでいたら一緒に悲しむ、喜んでいたら一緒に喜ぶ。苦しんでいたら一緒に苦しむ。楽しんでいたら一緒に楽しむ。父や母・先生・先輩方々は子供の心が読めるのです。一人一人違う子供達。

その一人一人に合わせて成長を楽しむもの父親・母親・先生や先輩方の楽しみの一つなのです。立派に成長した未來の子供達を創造しながら私も母親として一緒に成長している途中だと感じるのです。

大人も子供も一人一人持っている光の球 それは輝き(花)です。一人一人の得意を見極めて木の枝のように伸び伸びと伸ばせていける環境を創ることが親であり社会の役割なんだと感じました。それは世間で言う常識とはかけ離れているかもしれません。一人一人がもっている得意を生活が出来るように一人前の花が咲かせるようにレールを創る。それが大事だと感じました。

そこには自由に羽ばたける未來が私には見えているのです。

ただ、その前に必要なのは土台です。土台がないのにぐんぐん伸びてはいけません。

私に起きた出来事の気付きの答え。それは土台作り。私の今世のお役目でもあるのです。

宇宙の祖は、天であり地である。宇宙全体が人間を見守っている父であり母なのです。

監視ではなく見守り。

私も見守られている存在です。それに気付かせてくれたのが見えない世界の方々です。

2月のある日、私は夢の中で白い龍を見た。私はベランダから晴れた青空を眺めていた。雲の間から何かが見ている。ひょっこり顔を出したのは龍だった。今度は白い龍・・・

雲の間から顔を出した白い龍は私の事を見て、ひょっこり姿を表した。私は『うわっ(*^▽^*)龍だ!!龍だ!』と喜んだ。龍はすいすいと私の家の周りは回り消えていった。

喜んでいるように見えた。親(宇宙)と子(地球)は繋がっていると感じた。

子供の頃はよく見たものも大人になったら見えなくなるものだけど、子供のように信じている心を持つことは、ちゃんと姿を見せてくれるんだなと身をもって体験したのだ。

多分、誰に言っても現実離れしている出来事に夢物語とか精神病だという人もいるかもしれないけど、人に何も言われても私は私を信じて前に進もうと思う。

私の周りにも私の言っていることを理解出来る人はいない。ただ子供達だけは漫画みたいな出来事に興味を示してくれる(笑)

見える世界と見えない世界の間の私はちょうど真ん中を見ている。今までの世界は見える世界に偏ってきた。その為に沢山の大人達の心の枝を伸び伸び伸ばすことが出来なかったのだろう。綺麗な花を咲かすことが出来なかったのだろう。中には心の枝が折れたのだろう。

動物も植物も同じである。素敵な音楽や素敵な言葉をかけたら動物も植物たちも心地よく優しい動物・綺麗な花を咲かせてくれる。

皆一緒なんだ。

沖縄の古くからの考え。自然が神様・先祖が神様。私もそれを守り自然を大切にし先祖・おじいちゃん・おばあちゃん先輩方を大切にこれからも生きていこうと思う。

私の未來は明るい。子供達の未來も明るい。愛溢れる世界だ。100年後200年後・・・その先の未來を見据えて正しく生きていこうと思う。

今日もまたいつものように空を見上げ、祈りを捧げ、沢山の方々に幸せが訪れますように願っています。

見守ってくれている見えない世界。『ありがとう♥』これからも近くに感じ自然と動物達と共に共存しながら仲良く楽しく皆が笑っていけるよう成長していけたらと思います。

私の涙は自然と溢れるもの。大地の母の悲しみなんだろう・・・

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