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弱者+強者=人間としての存在

以前、知人のAさんがこんなことを話していました。
「あそこの家、生活保護を受けているけど車に乗ってるし、毎日酒ばっかり飲んでるし、私たちの税金で楽してるってなんなのさ」
と、延々と“生活保護を受けている人がいかに怠け者か”という話を聞かされました。
その意見を“正しい”かのように聞いてしまった私は、その後に会った友人BさんにAさんの言葉をそのまま話していました。
するとBさんに
「なにを言っているんだ。世の中の弱者を排除するようなこと言ってはいけないよ!」
とバシッと叱られました。そこで、ハッと私は気づいたのです。
私は、Aさんの意見が自分の意見のようになってしまっていたことに。
「最初はそんなことは全く思ってなかったのに、だんだんとその話が“正しい意見”かのようになってしまった。」というのが、この時の私の体験でした。Bさんの叱責で、目が覚め、狐につままれたようでした。

この時の私のように、自分の意見だと思っていることも、他人の意見を被ってしまっている状態になることがあります。
特に、世の中の弱者に対しての解釈・・Aさんのような意見のほとんどは、“正義のフリ”をした意見です。


私の身近にうつで悩んでいる知人がいます。もう職場にも行けず、ひとりで外に行くこともままなりません。
ある人がそのうつの知人にこんな言葉を投げました。
「自分もうつになったことあるけど、ただ引きこもっているだけじゃなくて、自分を奮い立たせないと抜け出せないよ。ナニクソーって頑張るんだよ」
うつの知人は「はぁ・・」と力ない返事をして、うつむいていました。
それを見て、私はいたたまれない気持ちになりました。誰も、好き好んでうつになっている訳ではないからです。
でもこの人生で、うつという経験をすることによって、確実に得るものがあるはずです。だからこそ私は追い立てるよりも、そのプロセスに寄り添ってあげたい・・そう思いました。

日本人は、“自己肯定感” “自己承認” が低い国民です。

自己肯定感・自己承認が低い人ほど、「人の上に立つ」(肩書きを欲しがる)「自分より弱い人を非難する」(いじめ)ということをします。
それは、自分が人よりも優位に立っているという錯覚による優越感に浸り、自分の弱さを隠しているのです。
日本でいじめやバッシングが多いのも、日本人の自己肯定感・自己承認が低いことに起因しているのです。
そして、この「優越感」と「まがい物の正義感」が、今世の中で起きている諸問題の根っこだと思っています。

いつも書いているように、この世界は相対性で成り立っています。 
例えば
「介護される人がいて、介護する人がいる。」
両方あって成り立っているのがこの世の中です。
弱者と呼ばれる人たちもいて、世界は成り立っているのです。

私はうつの人と関わることで、様々な気づきや今まで知らなかった世界を知ることができ、視野が広がった体験があります。
他にも・・
障がいを持った人たちが、自分の力を輝かせながら芸術や音楽活動に参加している姿に感動があります。
ダウン症の子どもたちの純粋なあり方に、天使の存在をみます。
ホームレスのおじさんからビックイシュー(冊子)を買って「ありがとう。いつもここにいるから」と言われると、いつも居てくれる安心感が生まれます。
こんな風に、様々な人たちの存在からたくさんの体験をしています。

うつの人は、世界にある私たちの怒りや悲しみの負エネルギーの影響を受けて存在しています。
社会全体の中で、障がいを持っている人もホームレスになっている人も、普通に含まれている世界。
弱者も強者も人間としての“つながり”の中で存在しているのだと思います。

自分(エゴ)の利益・名声・賞賛を求めてきたことで、自分だけが良くなれば・・自分の家族だけが良くなれば・・と、エゴは世界を分離してきました。

「自分さえ生きて行ければいい」
「自分の利益さえ守れれば良い」
「自分の地位を守る為に・・自分を正当化する為に・・」
「自分さえ楽しければいい」
「自分さえ仲間外れにならなければいい」
・・・
この“自分”とは誰なのでしょうか。

世の中から弱者を排除することによって、私たちは世界の繋がりを分断しています。

自然のなかで育つ子どもたちの姿を見ていると、人は本来助け合う本能があるのだと感じます。
自分が苦労して登ってきた土手の上から、後から来る自分よりも小さな子・力が弱い子に対して
「だいじょうぶ〜?つかまって!」
と手を差し伸べます。
2歳児は1歳児に・・1歳児は0歳児に・・3歳児でも4歳児に手を差し伸べる姿もあります。
「感謝されるため」でも「誉められるため」でもなく、純粋に一緒に体験している他の子を気遣っている姿なのです。

人は本来人間として“ひとつの存在”だと思います。
これからは、力を合わせて、グループワークで生きて行く時代です。
お互いに影響し合っているのが、私たち。
手を差し伸べ合い、この分断された世界をまた、融合していくプロセスを歩む。
そういう新しい時代に生きている私たちなのです。

※冒頭の写真は、千葉の障がい児グループのダンス披露を見た時のものです


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