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世界は“わたし”が創っている?!

その日は約束の時間に遅れていて、足早に歩いていました。赤信号になってしまって、気持ちが焦りながら信号待ちをしていた時でした。
ふと前の人の足元に目が止まりました。左足はヒールのサンダル、右足はスニーカーを履いていました。
その人の姿を見ると、髪はボサボサ、ピラピラした長いスカート、重そうなコートを羽織り、使い古したスーパーのビニール袋を二つ抱えたホームレスのような60歳くらいの女性でした。

私は「この辺に住んでいるのかな・・両方揃った靴がないのかな。最近ホームレスの女性が増えたな・・」などと考えながら、青信号になった横断歩道をヒョコヒョコと歩いているその女性を追い越して歩いて行きました。

追い越した後、私の頭の中に家で全く履かなくなった靴が浮かんできて、『靴をあげたい』という衝動が出てきました。
次の瞬間、私は何の迷いもなく引き返し、その女性の前に立って「うちに履かなくなった靴があるけど履きますか?」と聞いていました。するとその女性は「欲しい!くれるの?」と子どものように無邪気に答えました。

その時私は、女性の目が可愛くて、ぱっちりしていることに初めて気づきました。
私が今まで持っていたホームレスの人のイメージは、汚れてベタベタしていて、近づくと臭う・・というものでしたが、その女性は汚れてもいないし、匂いもしませんでした。

そしてその後、どうやって靴を渡すかを相談している時に、「私の家は、そこの青いマンションの3階なの」とその女性が言ったのです。私は、“ホームレスじゃなかった!”と驚き、そして、いかに自分が見た目の印象で決めつけているのかに気づきました。
普段ホームレスの人を前にすると、少し怖いように感じ、関わることに尻込みする私でした。でもこの時は『こうしてあげたい』という自分の衝動のままに行動し、怖さも何もなく自然に声をかけていました

もし「この人はホームレスだ」と決めつけて、その人と関わらなかったら「ホームレスではない」という事実は知りませんでした。
もしこの時、行動していなかったら、この女性の可愛らしさを発見することはありませんでした。

この出来事から私は、
『私たちは、自分の頭の中で創り上げた世界の中で生きているのだ』
ということに気づきました。

「あの人はきっと私のことを嫌っている」と決めつけていたら、『自分は嫌われている』という世界を創り出しています。
「人生思い通りにはいかないものだ」と思っていたら、『思い通りにいかない人生』を創り出しています。

もし、“わたし”(自分)が世界を創っているのだとしたら、どんな世界を現したいですか?


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