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自分の同人活動(小説)にまつわるいくつかの考え事

同人誌を作りたいと思ったことは一度しかない

同人誌は10代のころに一度だけ作りました。
『同人誌を作ってイベント(同人誌即売会)で売る→それによって生まれる交流』にあこがれての行動でした。

しかしながら、初めての同人誌とイベントでそんなにうまくいくわけがなく、在庫はダンボール1つ分残り(刷った分ほとんど残った)。交流もほぼありませんでした。

それでも、数人は私のブースで立ち止まり、私が作った本を立ち読みし、買っていってくれました。
実際に自分の書いたものがお金と引き換えられていく瞬間は、嬉しいとも驚きともつかない感情で、すごく印象に残っています。

その後、本は一切作っていません。当時、残った在庫も全部捨てました。

今、私の同人小説は「暇な時に気楽に読んでもらえたら」と思って書いているので、本を作る予定はありません。

今後、もしイベントに参加しようと思った時には、1枚に収まるような短編を20個くらい作って、100円とかで好きな種類だけお持ち帰りいただくなんていいなと思っています(イメージは、映画館とかにある、いろんな種類のお菓子をグラムで買うコーナー)。
そうなったら、お持ち帰り用のクリアファイルを用意したいなあ。

イベントで同人誌を買うことは、お祭りの屋台での買い物と感覚が似ている

個人的には。屋台で買った焼きそばを家に持ち帰ってから食べると「おいしいけどなんか違うな」という気分になるのと似ています。
私にとっては、同人誌は雰囲気と一緒に味わうものなのかもしれません。
イベント後、近くのファミレスで友達と話しながら買った本について話しているときが楽しさのピークだったりします。

私には「同人誌=イベント=人との関わり」という意識があります。私にとってのイベントは、会いたい人に会える場所(離れたところに住んでいる友達がサークル参加する場合)、もしくは友達と遊びに行くところです。

小説だからこそエロいはず

小説は読み手の想像力に頼るので、場合によっては、絵よりエロく魅せることができると思っています(私は技量が足りず、そんなことはできていないのですが)。

絵(漫画)は、直接的に体の絡みや表情、体液、性器も見れます。でも、小説は見れません。その「見れない」ところを、どう描写するか。

この本の中で、蓮實重彦が「日本でエッチという時には、要するに行為をするかしないかということになっちゃう。だからエロティシズムも非常に短絡的な対象に限定されてしまう」という旨を発言していたのが印象深いです。

この「短絡的な対象に限定されてしまう部分」を、もっと想像力で膨らませられるのではと思いました。以下2冊は、想像力のエロだと思います。

「評価数の多さ」という一定の基準と、「評価数1件」の特別さ

作品を投稿するサイトやSNSといった、他者からの評価が目に見える時の話。

人気のCPものは、そのCPが好きな人が読んでくださるので評価数が伸びやすい傾向です。反対に、需要が高まっていないジャンルやCP、作品の設定などは、どれだけ自分が楽しく、自信を持って書いても、評価が全くつかないことがあります。

もちろん評価が集まるのは嬉しいですが、たった1件の「ブックマーク」や「いいね」が自信を後押ししてくれることもあります。

自分の作品はどんな評価数であっても、同人活動が趣味である以上は「自分自身が作成していて楽しいか」を基準にやっていきたいです。

例えば同じCPを扱っているのに、どなたかの作品は評価数が100あり、自分の作品には10だという時には、スーパーマーケットを思い出すことにしました。

インスタントの味噌ラーメンでもいろんな種類があって、人によって好きな味噌ラーメンは違うからです。

評価数100の味噌ラーメンは、多数が受け入れられるほど美味しいか、有名メーカーのものかもしれない(もしくは、その時ちょうど価格が安くなっていて買いやすく、需要が高まった)。
評価数10の味噌ラーメンは「見たことないメーカーだけど食べてみる?」とか「食べてみたけどちょっとしょっぱすぎない?」という感じなのかなと思っています。

ただし、自分の作品が閲覧数0件のときは「内容か見せ方の技量が世の中の同人作品と比べてあまりにも足りていない=見られなくて当然」と判断しています。

その場合は書いた内容が悪いとは考えず(だってそれは良かれ悪しかれ私から出たものなので)、今後は技巧面でなにか工夫することを考えます。

キャラクターの尊厳、作品への感謝と尊敬

高橋留美子先生特集。先生のインタビューが載っていたのですが「どんなキャラクターにも尊厳がある」という旨をお話されていて感動しました。

二次創作の同人活動は、他の方(作者さんなど制作サイド)が作り上げた世界からキャラクターをお借りしておこなう創作活動なので、特に「キャラクターの尊厳」を重んじたいと思いました。
自分のイマジネーションを刺激してくれる作品への感謝や尊敬も忘れないようにしたいです。

一方、私の好きな二次創作作家たちさんには、好きなキャラクターをかなりバイオレンスな表現で演出する人も少なくありません。
とはいえ、そこには愛情があるので、かえってキャラクターの「生きる力」を作品に感じることができます。
どんな表現をするかは、二次創作をする人それぞれに託されていますが、私自身はちゃんと愛情があるものが好きです。

自分の「好き」を大切に育みながら、誰かの「好き」に触れられる

だから、同人活動、書くのも見るのも読むのも大好きです(もちろん一次創作も好き)。



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