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ラスベガス入門(歴史編02)

ラスベガスの歴史をたどっています。前回、街が発見され、ゴールドラッシュの中継点となり、フーバーダムの建設と1931年のカジノ合法化により全米一のカジノシティへの道を歩み始めたところまででした。

この後、ある男がこのラスベガスを大きく飛躍させる事となります。

蒸気機関車の駅が最初に出来たダウンタウンは、この地で最初のカジノタウンとなりました。

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駅の周りにある宿の1階部分にカジノが作られ、カジノホテルという形態が生まれます。まだこの頃はカジノ宿といった風情でした。

カジノクラブもダウンタウンには数多くありました。ただその殆どはマフィアの経営でした。

1940年代に、ダウンタウンのエルコルテスという老舗カジノホテルの経営に参画したニューヨークのマフィアが、お金をかき集めて新たなカジノリゾートの建設に踏み出しました。

現在もストリップにあるフラミンゴホテルです。(現在は当時の建物は残っていませんが)

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その中心となった男がベンジャミン・シーゲル(あだ名がバグジー)でした。因みにバグジーは虫けらという意味です。

『バグジー』という映画にもなっています。ご興味のある方は是非、映画をご覧になって下さい。

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バグジーがいなければ、現在のラスベガスの姿は無かったと云われています。

彼は、建設途中からハリウッドの洗練されたデザインを導入する為に何度も設計を変更し、資金予算は4倍、5倍と大きく越えていきます。(最終的に6倍にまで達します)

様々なイリーガルな手段で資金不足を解消しつつ、いくつもの困難を乗り越えてフラミンゴ完成に漕ぎ着けます。

そして1946年の12月26日にオープンします。

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ただ初日のオープニングパーティーは天候不良の為ハリウッドからの有名人、セレブな招待ゲストがほとんど来れず、部屋や施設も建設を前倒しにした事で不備が多く、惨憺たるスタートとなります。

その後も砂漠の中の唯一のカジノリゾートは低迷を続けます。そして1947年3月に再オープンするもあまり客足は伸びませんでした。

ただバグジーが暗殺(資金の使い過ぎで組織から)された直後、この件がニュースで話題となり、全米中から客が大挙して訪れるようになりました。 フラミンゴホテルは、モーセドウェイとガス・グリーンバウムの新体制の経営になって初めて飛躍的に利益が出始めます。

フラミンゴの新体制で高級志向から、大衆低価格路線へとシフトチェンジしたのが、ちょうど戦中から戦後と合いまった事。戦中に溜まりにたまっていたアメリカ市民の娯楽意欲が戦後高まるタイミングと相まってこの砂漠のリゾートは大ヒットし始めるのです。

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ということでこのラスベガスを変えた男の一人、ベンジャミン・シーゲルのお話でした。