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ラスベガス入門(歴史編03)

前回は、ラスベガスを変えた男、映画にもなったベンジャミン•シーゲル(バグジー)の話でした。今回は補足とその後をお届けします。

ニューヨークマフィアのバグジーが、西海岸担当となり、その後ラスベガス砂漠のど真ん中のカジノリゾート「フラミンゴホテル」建設の担当になった事が全ての始まりでした。

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因みにフラミンゴという名前は、彼の愛人ヴァージニア・ヒルの愛称です。彼女の人生もまた普通じゃありませんでした。数々のマフィアと浮名を流し、何とブラックマネーの運び屋だったとも云われています。

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バグジー暗殺のニュース後に大注目を浴びた事で全米中に名前が知れ渡り、時代背景も相まってフラミンゴリゾートは大ヒットします。

1950年代、ラスベガスは、このフラミンゴホテルの成功から、次第にカジノホテルの収益性が認知されてゆき、多数のマフィアが次々とカジノホテルを建設していきます。

ストリップ沿いに新たに誕生したカジノリゾートは、全米からの集客の為にフランク・シナトラ、サミー・デイビスJr.、ディーン・マーティン、そしてあのエルビス・プレスリー、ビング・クロスビーの定期公演が行われる場所となりました。

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これが現在のエンターテイメントシティ・ラスベガスの礎を作りました。

という事で、年間800万人以上の観光客が訪れ、また旅行者がカジノに投じた金額は年間2億ドルを超える額になりました。

ラスベガスは、同じく1950年代にアトミックフィーバーが起こります。1951年に、なんとネバダ核実験場で地上核実験が始まるのです。核実験停止条約が有効となる1963年まで、原子カクテル、原子ヘアスタイル、ミス原子爆弾コンテスト等まで、エンタメ界に登場しました。

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その後、ようやく1960年代後半から、ラスベガスをマフィアが支配する世界が終わり始めます。ラスベガス行政側からのカジノ開設、運営の権利を定める一連の州法が厳しくなっていくのです。

1980年代後半には、殆どのカジノホテルはマフィアからの資金が払拭され、大手企業の投資により健全に運営されるようになっていきます。

次第にこれまでの派手で危険な匂いのするラスベガスから、クリーンでファミリー向けのラスベガスへと変わってゆくのです。

そしてまた時を同じくして80年代後半からテーマパーク型カジノホテルが次々と登場し始めます。これはホテルとカジノの組み合わせに加えて、エンターテイメントが楽しめる施設、そしてレストラン、ショッピングモール等が一体になったホテルの事です。

ラスベガスで最初にヒットしたテーマパーク型ホテルは、「シーザーズパレス」です。皆さんもご存知の古代ローマ帝国をコンセプトにしたカジノホテルです。コロッセウムという円形劇場、有名人が経営する数々のレストラン、フォーラムショップというショッピングモール、アトランティスというアトラクションを備えていました。

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