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仕事で鬱になってから、、そして支援へ

ここで厄介なのが、うつ病と聞くと総じて

「メンタル的にダウンする」こと

を思う方が多いと思います。最近は世間認知も広がりましたが、自分がかかったのは、昔、躁鬱と呼ばれてた症状で、今は、双極性障害2型という、テンション低いのと高いのを繰り返すやつです。

テンション低い時はいわゆる鬱のイメージ通りだと思います。一番ショッキングだったのは、朝オフィスで仕事をしようとして机のパソコンまで手が上がらなかった時、でした。

まあ、いわゆる鬱ですね。これはまだいいんですが、問題はテンション高い時。だいぶ調子がよく、ちょっとすごいくらい絶好調。これが少しいくと、とにかく気が大きくなっている。
気付いたらクレジットカードの請求がとんでもないことになってました。

聞いた話ですが、このモードの時に勢いで必要のないマンションを契約した人もいました。

前置きが長くなりましたが、ある日、朝会社に出社してキーボードに手を置こうとしたら、手が上がらない。頭ではわかっているのに、体が動かない。何もできない事でパニックになり、椅子に座りながら気づいたら涙が流れてました。同僚が異変を察して、社長に報告してもらい、次の日に急遽1日休みをもらうことになりました。

精神科で3か月の療養が必要という診断書をもらい会社に提出しましたが、「こんなつまんないもの持ってくるな!」と突き返させる会社でした💦その後何度か繰り返し退職することになりましたが、自分でもなぜ鬱になるのか当時は客観的に判断できずになかなか苦しみました。

社会で働いていることって結構精神を安定させる効果があるんですね。いきなりやる事が無く、少し前から精神科に通院していましたが、とにかく不安と空虚。精神面も、この先仕事が出来るのかという見えない不安。

1か月間は何をしていいのか分からず、本当に地獄のようでした。

少しずつ社会性を取り戻すべく、いろんなことを調べていくと、雇用保険も入っていない会社で、失業保険も受け取れずすぐに収入を得ないといけない状況に陥り、とにかく簡単で時給の高い派遣の仕事を探し、出勤は自由にきめられる制度があり、最初は週2日ぐらいから初めて体を慣らしていきました。とにかく社会に復帰しないといずれ死ぬかもという強迫観念が湧いてきて徐々に勤務日数を増やしていきました。

結局症状が落ち着くまで1年ぐらいかかりました。

その後、ほぼ症状も出なくなり、結果として、派遣業の会社に運よく正社員として就職することが出来ましたが、その当時の会社の環境と自分を考えると休職するときにサポートしてくれる人がいればどんだけ気持ちが助かったか。

人材斡旋などの仕事を行いつつ、やはりずっと心にあったのは、メンタルをやられてしまって仕事を離れた方へなんとかしたい気持ちでした。同じくIT系人事部で自身が採用するが、数か月でリタイアしていく社員を見送っていた人間と一緒に、支援を行う団体を立ち上げました。そこで驚いたのが、産業医もいて、休職制度もある会社でも、職場への復帰率の低い現実。医療的な対応を行い、リハビリ出社制度もあるのに、リハビリ出社期間中は、通常業務は行わせてはいけない、という足枷。担当者も通常業務がありながら、どうしていいか分からずに持て余してしまい、結果十分な対応が出来ずに失敗になってしまうケース。。。

せっかく制度があるのに活かせていないなんて、、、本当に変な話だなと強く感じます。

通常業務をさせられない、担当者も日常業務に追われて対応できない。
まさにこの部分を埋めるべく活動していこうと日々動いています。


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