#8 IACK
IACKは写真家の河野幸人さんのアトリエ兼、「開かれた書斎」というコンセプトの書店。金沢の路地の奥にある。東京アートブックフェアでどこにも似ていないセレクトがいつも気になっていた。なぜだろう?と考えたら、個人的な目線で選ばれているからだと気がついた。部屋から持ち出したかのようなアートブックが並び、なぜ自分がこの本を選んだのかを説明してくれる。写真家のキャリア、ギャラリーのこと、どんな本を選ぶのか、河野さんの「部屋」で話を聞いた。
東京から距離を置くからこそできること
NC:IACKとして活動を始めたのは2017年ですよね。それまでは写真家として活動されていたんですか?
河野:写真家として制作はしていました。IACKを始める2年前まではロンドンにいて、2015年に帰国してからは金沢を拠点にしつつ、ときどき東京でtwelvebooksが開催するイベントの手伝いをしたり、アートブックとは直接関係のないアルバイトをしながら制作活動を続けていました。構想があったなかで2017年に今の場所と出会い、IACKを設立しました。
NC:どんな構想でしょうか?
河野:ロンドンで大学院に通っていた頃は、日本の作家さんから自身の作品集を送ってもらい、その本を持ってヨーロッパ各地のアートブックフェアを回っていました。自分の作品以外を扱うことはその頃に始めたわけです。
NC:写真家でもあり、小さなコントリビューターでもあった。
河野:そうです。当時ロンドンではアーティストによるオープンスタジオがよく行なわれており、制作の拠点としてだけでなく、開放することで別の流れを生み出しているのが印象的でした。それをヒントに、週末はアトリエを開放して、今度は逆に海外作家の作品を扱いながら自分の拠点をつくるのはおもしろいのではないかと、なんとなく考えていました。当初はワンフロアだけを使って今よりも小さいテーブルひとつだけ、まさに毎週末開催されるひとりブックフェアでした。
NC:ヨーロッパへは誰の本を持っていっていたのですか?
河野:当時は「STAY ALONE」名義で、東京を拠点に活動する写真家の龍崎俊(すぐる)さんと一緒にタブロイドの出版やアートブック/Zineを扱うイベント開催を行なっていました。自分の作品集や龍崎さんのZineだけでなく、龍崎さんのパートナーの鈴木理恵さんや横田大輔さん、宇田川直寛さんをはじめとした、当時20~30代の気鋭作家さんの本が多かったです。
NC:ブックフェアはどのあたりに行っていましたか?
河野:ロンドン、パリ、スペイン、イタリア、スイス、アムステルダムなどです。
NC:当時は写真という文脈で日本人作家が紹介されることは少なかった?
河野:日本の写真自体はどこに行ってもファンがいる状況ではありましたが、名前が上がるのは大抵「アレ・ブレ・ボケ」か川内倫子さんで、点と点でしか認識されていないと感じました。しかし、アートブックフェアの世界的な盛り上がりに伴い、STAY ALONEで扱う作家たちも、ギャラリー以外の場でコンスタントに生の作品を発表する機会が一気に増えました。ぼくも実際に各地を回ったことでヨーロッパのオーディエンスや出版社、アーティストたちとつながりが生まれました。その活動の積み重ねで、日本では何か新たなムーブメントが起こりつつある、という空気が次第に生まれたように思います。
NC:ロンドンへは写真の勉強のためですか?
河野:もともとは語学留学のためでした。写真自体は日本にいるときからやっていたわけではなく、大学では英文学を専攻していました。
NC:どちらかというと書くほうだったということですね。
河野:もっぱら読むほうですね。写真以前は何より音楽にのめり込んでいました。ロンドンを選んだのも、音楽やファッションを含めたカルチャー全般が好きという理由からです。写真に漠然とした興味は持っていましたが、本格的に学んだ経験はありませんでした。
NC:ロンドンでは何年暮らしたのですか?
河野:3年くらいですね。2011年に語学留学のために渡英したのですが、さまざまな偶発的な出会いの結果、本格的に写真を学んでみたい気持ちが芽生え、ロンドン芸術大学ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションのファウンデーション・コースへ進みました。その後一時帰国してから再渡英し、同大学のファインアート・フォトグラフィーの修士課程を修了しました。
NC:ロンドンで写真を始めたということなんですね。
河野:そうです。初めて行った2011 年当時は、インディペンデント出版やアートブックフェアがすでに盛り上がりを見せていました。
NC:自費出版や独立系出版社から発行される写真集など、それまでのZineのムーブメントとはまた違うアートブックの刊行が増え、ロンドンがすごく盛り上がっていた時期ですよね。刺激的な時期にいましたね。
河野:今思うとイベントもかなりコンスタントに行なわれていた時代です。当時ぼくは日本のカルチャー紙などの影響でRyan McGinleyが好きだったんですけど、同じ語学学校の生徒で偶然Ryanのファンがいて、彼の本を出している出版社がポップアップイベントをやっていることを教えてくれました。小さなスペースでの開催かつ短い会期のイベントだったと思います。当時写真に関する知識はまったくなかったにもかかわらず、なぜか何度も足を運び、そこで地元の大型書店や図書館に並んでいるものとは根本的に異なる写真集の世界があることを知り、写真家や独立系出版社の人たちとも知り合いました。彼らと一緒に行動するなかで、のちに通う大学についても教えてもらい、自分も本格的に写真を学びたいと思うようになりました。
NC:写真の仕事もロンドンでしていたのですか?
河野:仕事としてはほぼしていないです。たまに友人の写真家の手伝いをしたり、知人の作品の記録写真を撮ってほしいと頼まれて撮影したことはありました。
NC:アシスタントについた人がいるわけではない?
河野:そうですね。特定の人についたことはないです。
NC:場を持つとしたら金沢と決めていたんですか?
河野:当初は東京がいいと思っていました。現実的に考えて、いろんなことが起きているのは東京なので。生まれ育った金沢では写真をやっていなかったから、地元には写真関係の知り合いはほとんどいないけれど、東京ではすでに作家さんや関係者たちとの交流もあった。だけどちょうどそのタイミングで、北陸新幹線が開通しました。他に個人的な理由もありましたが、東京の早いサイクルの中でやっていくよりは、一歩離れた場所だからこそ腰を据えてできることもあるのではないかと思いました。金沢で活動しつつ、新幹線で都心にも飛行機で海外へも行ける。まだ具体性がない状況でしたが、とりあえず金沢でやってみようと考えました。
完全にインディペンデントとして存在し、オルタナティブな出版の形を模索し続けます。