博士修了後の進路選び 企業研究者へ

こんにちは、あるいははじめまして、ケン です。

博士に進んだ人はもちろん、現在修士課程の人も「アカデミア」か「企業」かで迷うことがあるかと思いますが、僕もその1人です。

入社後も「どうして企業に?」とちょいちょい聞かれますが、やはりそれだけ博士進学者が企業に行く選択をすることはまだまだ少ないのかもしれません。

特に自分の場合は、薬学出身だったこともあり、医薬業界かそれ以外かについても非常に悩みました。

アカデミアではなく企業を選んだ経緯1 

研究自由度の観点から

企業とアカデミアを比較する際に、アカデミアの研究は自由度が高い一方で、企業での研究は必ず製品に繋げる必要があるため、興味とは一致しない研究をすることになりがちだ、ということが言われます。

企業は営利目的で研究を行うため、自分だけではGo/No Goの判断はさせてもらえないという面は多分にあると思います(実際、企業に行くとそうした面を感じました)。

一方で、アカデミアも集中と選択の政策によって社会への実装が期待できる分野に研究予算が偏ってきているという事実があります。僕の場合は社会への貢献が誰にでもイメージしやすい薬学という分野を専攻していた+ビッグラボに所属していたため、在学中も潤沢な予算に恵まれていましたが、薬学の中でも成果がわかりにくい分野の研究室は限られた予算の中でやりくりをしていました。

しかも、科研費などの競争的な資金は数年間(基盤研究で3-5年程度)の予算なので、大学教員は一生をかけて予算申請の書類を書き続けなくてはなりません。

予算がないと十分な研究は実施できないため、純粋に自分が興味があることだけを研究すればよいわけではなく、社会要請を察知しながら研究テーマを勘案する必要もでてくるでしょう。

そう考えると、実際にアカデミアがどこまで自由に研究ができる場なのかという疑問を抱くようになりました。

したがって、研究の自由度ではない観点からも色々と考えてみました。

アカデミアではなく企業を選んだ経緯2 

継続した研究活動は可能か?

研究テーマの自由度よりももっと根本的な問題として、そもそも研究を続けられるか、ということを考えました。企業について言えば、望まない異動があるかもしれないし、もっと言うと、研究所が閉鎖されてしまう可能性もあります。そしてそれは昨今では珍しいことではありません。一方のアカデミアに関して言えば、ポスト不足の問題で行き場がなくなってしまうかもしれないという問題が横たわっています。

企業であれば、開発や企画などほかの部署へ異動になってしまう可能性があり、そうなれば研究者としてのキャリアを一時的にまたは永続的に築けなくなってしまいます。私の会社では、採用者本人には決して告げられませんが、採用の段階で数年間の育成プランは決まっているのだそうです(この人は何年目で開発に異動させて幅広い視点を養ってもらう、この人は本人が希望しない限りは研究所にいてもらって専門性を高めてもらう、という感じ)。ある程度その人の能力や性格、性質なども考慮した上で決められているみたいですが、望まない異動も発生することはしばしばあるみたいです。

アカデミアであればそうした異動はありませんが、ポストが常に不足しているため、PIとなり本当の意味で自分の研究を実施していくことは容易なことではありません。ただ、アカデミアの特権というか、面白い点としては大学院生やポスドクなどの、人生の非常に大切な時期において上司(教授)を日本全国だけでなく、世界の中からある程度選ぶことができる点が素晴らしいところだと思います。

色々考えてみたものの僕の中では、「結局のところ、それぞれの企業でキャリア育成プランの制度は異なるし、おそらく人によっても違うだろう」という考えに至りました。そもそも中に入るまでそのあたりの仕組みはきちんと見えてこないでしょうし。自分自身が、我を押し通す実力をつければどうにでもなるでしょ、とわりと楽観的に考えた部分もあります。

ただ、研究以外のことにも興味がある人であれば、企業の方がその内部で多種多様な仕事、役割があるため色んなことをやりたい人は企業の方が向いているのかもな、と思います。

アカデミアではなく企業を選んだ経緯3

金銭面について

もう1つの観点としてはお金です。研究者は研究を第一とし、清廉潔白であるべきだという価値観を否定する気はありませんが、自分が修士のときは奨学金とわずかなバイト代だけでなんとかやりくりして生活をしていたことを振り返ると、もし1度でも健康に問題がでてしまったら生活ができなくなっていたと思います。バイトができない&病院代がかさむのダブルパンチですからね。今思うと、よく一度も体を壊さなかったな、と。丈夫な体に産んでくれた親に感謝です。

アカデミアと企業では金銭面の余裕は圧倒的に違います。例えばポスドクとして学振PDが運良く取得できたとしてもだいたい年間430万円、学振PDを取得できなかったとしたら、雇い先にもよりますが年間300万円程度の給与が一般的だと思います。

一方、企業では初年度については夏のボーナスがないのでだいたい年間420万円。さらに家賃補助なんかの福利厚生や残業代がでるので僕のところだとそれプラス140万円程度になります。

また、2年目からは昇給+夏のボーナスが満額でるので、残業代を含まない給与だけでも年間520万円程度+家賃補助や残業代等で年間実質650万円程度になります。アカデミアの1.5-2倍程度の金額になるため、精神的な余裕が生まれることは間違い無いです。この違いは非常に大きいと言えます。

アカデミアではなく企業を選んだ経緯4

薬に対する疑問

私は薬学部、しかも神経薬理学を専攻していた人の中ではかなり特殊で、製薬企業を進路としては選びませんでした。有機化学専攻の人の中には化学メーカーに行く人もいるのですが、薬理学専攻者では稀有な選択をした人間だと思います。

どうして製薬業界に進まなかったかというと、創薬は本当に人を救うのか?という疑問を抱くようになったからでした。

日本は世界でもトップクラスの少子高齢社会であり、なおかつ国民皆保険制度をしいているため、医療に関する費用は毎年10兆円以上にも上ります。

スクリーンショット 2020-08-15 9.07.06

当たり前ですが、これを負担する/していくのは現在の、あるいはこれからの現役世代たちです。今ある薬の負担額だけでも相当な金額なのに、これ以上新しい薬が増えるとさらにこの金額は膨れ上がります。

さらに、今はあらかたの病気に対する薬は揃っているので、これからの創薬は患者の少ない希少疾患に対する薬、あるいは生み出す難易度の高い薬(中枢関連疾患など)が主なターゲットになってきます。そうすると、研究開発費をpayするために薬の価格は非常に高額になってくることが容易に想定されます。

そうなったとき、創薬活動は一部の人を救う薬を生み出す一方で、将来の多くの世代に対する負債を生み出す一面もあるのではないか、と思うようになりました。医療関連学部を出たものの倫理観として正しくはないのだろうけれど、高齢者ばかりがかかるような疾患については、「人間はそんな長生きできるようにできていないんだ」と、ある程度わりきってしまうことも人類全体の幸福を考える際には必要なのではないのか、という思いが芽生えてきました。

ぎりぎりの生活をしているような若者なんて保険料は払っているのに生活費以上のお金がないから医者にすら行けないのが現実です。そうした今の仕組みはただでさえ異常なのに、それを後押しするようなことはしたくない、という思いが貧乏な修士・博士時代の生活をして行く中で日増しに強くなっていきました。

最終的には行ってみてから考えよう、になった

一度薬学以外の世界を学んでみたいという思いが強くなっていったことと、金銭的な理由から企業に行ってみようと思うようになりました。もし企業が自分にとって合わなくても、今は終身雇用の時代ではないですし、そのときに考えよう、というわりといきあたりばったりな理由です。

なんじゃそりゃ、という結論ですが、研究でも中学高校時代の部活動でも、僕は取り組んでみてから本当の面白さに気づいてどんどんのめり込んで行くタイプだったので、まずは新しい世界に飛び込んでみようと思ったわけです。人事の方や内部の方の人柄もあり、今の企業に決めました。

生物系の博士である僕が、製薬以外の企業に受け入れてもらえるかどうか、就活を始める前は不安もありましたが、就活時には専門性よりもむしろ、どういう姿勢で研究に取り組んできたかを見られていたような気がします。ですので、きちんと研究活動を行ってきた人であれば、この点は心配する必要はないのかな、と思います。

実際に企業に入った後に感じたこと(メリット、デメリットなど)は別の記事でご紹介しますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?