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私にとっての「なりたい」「好き」「似合う」を定義する①

先日、第2回目のあきやあさみさんの幻冬舎大学での講座があったタイミングなのだけど、第1回目にお話しされていた「なりたい」「好き」「似合う」について考えてみたい。
今回は、キーワードがどれに当てはまるかを考えてみるのではなく、そもそもどういう状態が私の「なりたい」「好き」「似合う」なの?という話。

あきやさんは、「なりたい」を哲学、「好き」を本能、「似合う」を事実とお話されていた。他にも、「なりたい」は骨に刻む、といったパワーワードも生まれていて、とても面白かった。

しかし、なんとなく自分のイメージしていたものと違っていたので、自分の言葉で捉えてみたい。

なりたい

これが一番違ったかも。
「骨に刻む」
……う~~~。痛そう。怖い。
苦労を伴ってでもなりたいかどうか?というお話なのはわかる。
でも、もっと明るいイメージにしたい。

あきやさんと私が違う人間だなと思ったエピソードとして、教室でのやりとりを思い出した。
(全部記憶しているわけではないのでニュアンスです)
私「ファッション以外でも自問自答していくんでしょうか?」
あ「インテリアやお仕事も自問自答していく方々がいらっしゃいます。」
私「全部本気で自問自答していったら、ちょっと大変かも……。」
あ「靴やバッグまでで満足する方々も多いですよ。
  私は苦労するのが好きなのでやっているんです!
  心地いいところを探していきましょう!」

人生を大きく変えていくJJGさんたちが魅力的に見えながらも、自分にはできない……と思い、質問したものである。
(今思えば、努力している方々に対して、失礼な疑問だったかもしれない。)
あきやさんは苦しくてもご自身を追求していくのが好きだけど、私は無理をしすぎたり、苦労や覚悟が先に見えていたりすると、進む前に精神的に参ってしまう。
そのため、「なりたい」をもっとライトなものにしたい。
もちろん、それが甘えにつながって自己嫌悪になることもあるので、ほどほどに課題を課すのも大切!

というわけで、私の「なりたい」はこちら。
憧れ。
眩しいくらい、きらきらと輝いて見えるもの。
時には拝みたくなるようなもの。

また、「なりたい」には、目的としての「なりたい」と、その手段としての「なりたい」があるかと思う。
キーワードを分ける際には、そこの違いも考えたい。


続きます。

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