音楽のポテンシャルと耐用年数

 これは2日前の話だが、シェーバーが壊れたので新しいシェーバーを買った。備忘録としては以上だ。のちに検索する可能性を考慮し、言い換えた言葉も記載しておこう。ひげそり、髭剃り、ヒゲソリ。これで充分だろう。
 ここからさらに髭剃りの話を展開するかどうか……、しばらく考えたがやめておくことにした。書こうと思えば軽く1000字くらいは書けると思うのだけれど、今はいいや。

 最近は音楽をよく聴いている。新しい音楽を聴くこともあるが、既に知っている音楽をあらためて聴くことが多い。古いものだと僕が最初に聴いてから15年くらい経っているものもある。さらに言えばそれが作られたのが50年以上前だったりすることもあり、そう考えると音楽というものの耐用年数(と即物的に言ってみるけど)はすごいですよね。クラシックなんかだと数百年も前に作られた曲が現代でも演奏されている。

 どうして既に知っている音楽をあらためて聴くのか。たいていの人は10代とか20代にハマった音楽を一生聴き続けるとか、30代以降は新しい音楽を取り入れなくなるとか、そういう一般論も聞いたことがあるけれど、僕の場合は少し違って、わりと明確な理由があって自覚的に聴き直している。
 ひとことで言えば、新しい聴き方を知ったのでそれを試すために聴き直している。新しい聴き方の効果を測るためには、これまでの聴き方との差分を認識できなければならない。したがってこれまでの聴き方でよく聴いてきた音楽をあらためて新しい聴き方で聴いてみているというわけだ。
 新しい聴き方について説明すると長くなるので割愛するとして、結果だけ言えば楽しい。
 いきなりとびきり抽象的な話をするけど、音楽というのは潜在性がすごいのかもしれない。新しい聴き方だけでなく、新しいイヤホンやスピーカーで聴いてみるだけで、これまで飽きるほど聴いてきた音楽が生まれ変わったみたいに新鮮に聴こえてきたりすることがある。あるいは同じ曲でも演奏する人が変わるとまったく異なる音楽になることがある。ひとつの楽曲が無限の様相を呈することができる。音楽のそういう潜在性が耐用年数の長さにもつながっているのかもしれない。

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