見出し画像

BBTクローン計画(1)文化的だった「バブル前の東京」を東京外に再生させる話

私は18歳で上京し、36年間を東京で過ごしました。
なぜ上京したかと言えば「近場で最も文化的な都市だった」から。
「大都会だったから」ではなく「文化的だったから」目指したのです。

自分の故郷は中規模都市で「メジャーなもの」なら何不自由なく入手できましたが、「マイナーなもの」となると東京まで足を運ばないと手に入らなかった。
マイナーなものというのは、例えば「小出版社の少部数発行物」だったり「一般流通していない変な雑貨」だったり「個人や小グループが出してるミニコミ誌」だったりします。
場末のライブハウスや小劇場でしか鑑賞できない演奏とか演劇、マニアックな作品だけで組まれたオールナイト上映会なんかもその範疇ですね。

後にサブカルチャー(サブカル)という括りで語られるようになるそれらは、当時は東京・大阪といった大都市の独占物で、中小都市在住のサブカル小僧たちは遠巻きに眺めることしかできませんでした。
私もその一人で、だから高校生になると月一回ペースであちらへ通い、渋谷・新宿・池袋なんかのマニア向けショップを漁っていたのです。
信じがたいかもしれませんが、あの頃は渋谷がサブカルタウンだったんですよ。

行政が考える「文化的」というのは、巨費を投じて「ハコモノ」を造ることで、そこに「文化会館」みたいな名を冠したら「ハイ、わが市もこれで文化的になりました」と安心してオシマイ。
でも、私に言わせれば「ハコモノを造ることは文化的の対極的行為」なんです。

私にとっての「文化的環境」とは「街のあちこちにちっちゃな面白スポットが点在している状態」のことを言い、それは金を積んだからといって手に入るものではありません。
「面白いことをしてみたい」と考える人間がやって来て「自分の理想を具現化した場」を築き上げる。
そういうスポットが集中した場が、私にとっての「文化的環境」なんですよ。
昔の東京はそういうエリアがあちこちにあって、私の目には「365日がサブカル祭りの地」と映りました。

高校を出て念願の上京を果たした日の感動は、いまも忘れられませんね~。
「今日からはもう、東京に来るために3時間近くも電車に揺られなくていいんだ! 新宿も渋谷もすぐ近所になったんだ!」
こう考えると全身の細胞がプチプチ音を立てながら活性化していく感じで、もう幸福感しかなかったですね~。
翌日からはもう、いまは亡きタウン情報誌「ぴあ」「シティロード」なんかを片手に、都内のサブカル詣の日々が始まりました。
いや~楽しかったなぁ~。

けれどもそれも過ぎ去った過去のお伽話。
数年後に訪れた「バブル景気」という病によって都民の多くが狂っていき、「私の憧れた東京の文化度」はいっきに低まりました。
サブカル小僧の居場所だった「そんなに儲かりはしないけど面白いからやってるんだ」的なショップは「家賃の高騰」やら「地上げ」やらのせいでどんどん減っていったのです。

人が商売を始める動機が「やりたいから」から「儲かるから」に変わり、「個性的な小商い店」はどんどん生きづらい状況になりました。
かわりに増えたのが「ブーム業種の店」で、メディアが「いまこれがキテる!」と叫ぶや、ダダダッとそれ系の店が林立しました。
ちょうど昨今の「タピオカ屋」のような感じです。

バブルは数年で弾けて狂乱景気は止みましたが人々の狂気のほうは止まず、東京は「バブル後遺症」に悩まされることになりました。
大金が舞い飛ぶ状況なんかもうとっくに去っているのに、バブル脳のまんま人たちは「拝金病」から抜け出せず、前のような「たいして儲からなくてもいいからやりたい仕事で食っていこう」という心境には戻れないのです。
不況でお客さんの可処分所得が減り、「流行ジャンルの店さえ出せば当たる」みたいな甘い状況は終わっているのに「一攫千金の夢」から醒められず、無茶な出店で経営破綻しちゃたりする。

そうした悪循環の中で私の「行きつけ店」は年々歳々減っていき、中高生時代の憧れだった「文化的都市」だった東京もどんどん色褪せていきました。
とはいえ、かつての東京にいた「面白い小商い人」が死に絶えてしまったわけではありません。
ある人は、「売上の低迷」と「家賃の高騰」のダブルパンチを食らって実店舗を閉めた後、主戦場をネットショップに移しました。
またある人は、銭ゲバ化して小商いがしづらくなった東京に見切りをつけ、「経営コスト(主に家賃)の安い東京外」に活動拠点を移したのです。
「そういえば、新宿に昔あったアノ店って今はどうなってるのかな~???」とふと思ってネット検索したら、東京から電車で2時間ほど離れた半島に移転していてビックリしたことがありました。

小商い店の自己防衛手段は、以前は「店舗のバーチャル化」がメインでしたが、移住ムーブメントが高まる中で「東京外での実店舗経営」が増えてきています。
「最初から東京外で起業する人」というのも多くて、しかもそれが「昔なら大都市でないと成立しなかった業種」だったりすると、「もはや『文化性』は大都市の専売特許ではなくなったんだなぁ~」と感慨深いものがありますね。

私が注目しているのは「東京からの店舗移転組」です。
その店主の多くはたぶん私と同じ「まだ文化的だった頃の東京を知る世代」で、つまり「バブル前の東京(=Before Bubble Tokyo=BBT)のDNAを受け継いだ存在」。
そんな彼ら彼女らのしていることは「脳内に鮮明な記憶として残ったBBTのクローン再生」なのだろうと思うんです。

こう考えたとき、自分の本当にやりたいことに私は気づきました。
これまでは漠然と「東京に縛られている人に『東京外の魅力』を伝えて自縄自縛状態から解放する」という活動に手を貸していたんですが、これだとどうもイマイチしっくりこない。
そもそもの話、「東京外の魅力」といっても私自身は「田舎好き」では全然ないし、「あたり一面緑一色」みたいなところに行っても全く楽しめないのです。

ではどういう所が好きなのかといえば、やっぱり「文化的な街」ですね~。
具体的なイメージは「バブル前の東京」
てことは、私も自分の移住先で「脳内に残されているBBTのクローン再生」をしたいと思ってるわけですね。

てことで、今後は単純な「脱東京支援」ではなく「東京が失った『文化都市性』を東京外で復活させる活動」に尽力していきます。
バブル期に高騰した都心部の地価が崩壊後でも思ったほどには下がらず、東京は「バンバン稼ぎ続けないと商いが続けられない街」になってしまいましたが(人気商業地はテナントの入れ替わりが著しいです)、大都市圏からちょっと離れれば「土地が安く手に入る地域」というのはまだまだ沢山あります。

そういう「小商いで食っていける場所」で、まだ拝金主義に走る前の東京を再生させる、それが私の新プロジェクトである「BBTクローン再生計画」
こちらに注目していただけたら幸いです。

画題「いかんともしがたい価値観の相違」

文化的


読者のみなさまからの温かいサポートを随時お待ちしております。いただいた分は今後の取材費として活用し、より充実した誌面作りに役立てていきます。