チャイルドフリーという選択肢

大学卒業後25歳前後ごろであったり、結婚を考えるパートナーがいたら
多分誰しも(男女とも)子供どうしようかなと思うのではないのではないか?
ちなみにわたしの周りは彼氏が今いない子も含め子供が欲しいと言う人が多い。(当たり前のことのように言う人もいれば、よくよく考えて欲しい人などたくさん)
が、わたしは「自分の子供は産まない」ことにした


理由は色々ある

  • 負荷がかかると気分の波が躁鬱の基準を満たすほど悪化してしまうくらいにはストレスに弱い上にそうなると周りに迷惑かける状態になる

  • そもそも子供の声がキーンとしてしまうときがある

  • 人間がそんなに好きじゃないので、ママ友付き合いとか確実にストレス源が待ってる

  • 上に書いたこともそうじゃないことも子育ての色々をのりこえてまで「自分で産んだ」子供が欲しいとおもえない

  • 発達障害で苦しんだので、遺伝率が50から80%あるのであれば(この説はまだまだ立証必要だと思うがそう言われてるらしい。私の父親もASD adhdらしさがある)わざわざ発達障害ならではの苦しみを味わう小さな可愛い子供をみるといったことをやりたくない

  • 大体の人は“こども”、“家族”というと五体満足でなんの障害もなく生まれ仲良く幸せで当たり前とおもってるけどもそうではないこともある
    まあわたしも自分がそうでなかったら身体的障害には気付けても発達障害がここまで大変とは思わなかっただろう(ちなみに大人になるにつれて楽になってきましたなんでかわからんけど)

前まではわたしがもし父親がおかしい家庭で育ってなければ、また発達障害という遺伝するものを持っていなければ“普通に”子供産んでたかなと後ろ向きに捉えていたし
今のパートナーのことを父親にするという体験をさせられないことにも罪悪感があったが

彼氏はわたしの子供持つのは無理…という想いを掬い取ってくれた。
〇〇のキャパでいまやるのはむりだよねと納得してくれているし
わたしもかなり救われる思いがある

よく末代まで呪うとあるが、末代かぁ、わたしが仮に産んだところで子供嫌いのわたしに似た子供だったらただ末代を引き伸ばすだけなのでは?なんて考えるとちょっと気が楽になってきたりして笑

今のところは〇〇のせいだではなく、わたしには無理なので他の人頼んだ!の気持ちと
その分子供に関して社会貢献する活動をしようといった前向きな気持ちになれてきている

ここから少し話題が逸れる
社会貢献について自分が興味あることだが
(わたし個人的に調べた結果なので何か間違いがあったらすみません)
家庭で恵まれず、ひどいめにあい助け出された子供は児童養護施設に行くことが多いのだが
その養護施設が悪質な職員だらけだったり
そうではなくても心理的トラウマで養親とうまくいかなかったり
引き取られないと18になったら自動的に施設をでなければならないのだが十分な教育を吸収しておらず働きぐちがなかったり
通常の社会人のようにこけたときにたすけてくれるセーフティーネットがなく住所不定になってしまう場合もあるらしい
例えばわたしは社会人生活でこけたときになんだかんだ家があってたよれてなんて助かったんだとおもったから
そういう人たちを少しでもなくせればとおもう


話を戻す
このように選択的に子供なしになることを選択こなし、他の人が産むのは良いけど自分は産まないと言うことをチャイルドフリーというらしい
おなじチャイルドフリーの方々はもちろん
様々な事情でこどもがいないかたと仲良くなってみたいものである



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