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私達は常々に骨を折る。
人生を人並みに生きようというのならば、少なからず私達は常々に骨を折る。
それは仕事に、なのかもしれない。
私は別に、人生が仕事であれとは思わないし、人生を仕事にしようとも思わないし、もちろん仕事が人生であれとも思っちゃいない。
けれど、すくなくとも私は日々の生活の中で仕事に骨を折っていたのだ。それは覆らぬ事実であって、実感である。
──折っていたのだ。なんて言葉を使ったからには、お察しの通り、今現在私は骨を折っていない。──いや、そうと言うのも語弊がある。私は確かに今骨を折っている。
──だって私は現在、右足の骨をバキバキにへし折って、入院中である。
「え、そういう話?」と思われたかもしれない。私も非常に不本意ながら、これはどうやらそういう話のようで、つまり私は仕事をしたかろうがしたくなかろうが問答無用で身動きが取れぬ状態へと陥っていた。足の骨を折っていた。
そもそも何でそんなことに?という疑問の詳細な解消にはそれなりの文字数を必要としてしまうので割愛させていただくが、平くのして申し上げればパラグライダーで墜落事故に遭ったというのがことの顛末である。
飛んで、落ちて、ぽっきりと。である。
──こりゃたまらん。
というのが本音であるが、「1人じゃ怖いから一緒に飛ぼうや」と言う友人の言葉に端を発し、「俺もついに飛べる豚になる時が来たか……」などと宣った直後に急転直下、視界を暗転させたのが数えて10つほど前の日付の話。
折れた骨の痛みに耐えながら救急車で運ばれながらに「骨諸症状とポルコロッソで韻が踏めてさ」などと訳のわからんことを友達に呻いていたのも、今は遠く懐かしい思い出である。──嘘である、過去にするには些かに記憶が鮮明すぎる。
閑話休題。
骨を折る、といえば。私の仕事での立場は何をするにも一度私を通して仕事が進行するような役回りであったため、まずは抱えていた仕事を的確に人に押し付けることに骨を折ることに終始した。並行して、それなりに重症であった私はやれ入院だ手術だと身体の回復のための仕組みに乗っかることに骨を折った──いや、これはどちらかといえば骨を継ぐための行為なのだが──兎角、骨を継ぐことに骨を折った。
骨を折った甲斐もあり、今ではある程度落ち着いて病院のベットの上で療養中である。骨折り得のくたびれ儲けである。嘘である、別に何も儲けてなどいないのである──とも言い切れないのである。
世のことわりとは、得てして何かを失えば何かを得るようにできているものである。
例えば、ニュートンは林檎を地面に叩きつけることで、林檎はとても食えたものではなくなってしまったが、代わりに万有引力を発見した。
例えば、コロンブスはごちゃごちゃ言ってきた輩を相手に癇癪を起こして机に卵を叩きつけることで威圧し、一目置かれるようになった。
──つまり、何かを勢いよく叩きつけると何かを得られるのだ。それはもはや声を大にして論じるまでもないことであることは明白である。
ともすれば、こと骨が粉々になろうという勢いで大地に身体を叩きつけた私にいたってももちろんその法則は適応された。
どういうことかといえば、全治半年の大怪我を負った私は合法的に半年仕事を休む権利──口実と言い換えても良い──を得たのである。
とはいえ、よっしゃ遊んじゃおうぜ!ともならない。当然、私は満身創痍である。まともにベットから動くこともままならず、言わずとも怪我人である。今となっては吹けば飛ぶほどの戦力も有してはいない。──いや、飛べなかったせいでこんなことになっているのだけれども。くそ、吹けば飛べ。
なのでまぁ、今は何をできるわけではないものの何もしなくて良いという遅れてきた人生のモラトリアムに陥っている。
趣味はそれなりに多い方なのだが、現状どれもこれもまともに楽しむことも打ち込むこともできず、仕事に限らずありとあらゆる予定や見通しがガラガラと音を立てて崩れていった。
これからを思えばそれなりに気は重いが、深刻ぶってもしかたないなと思えるようにはなったので、なるようになったらまた現状報告みたいなもので経過報告をしようと思う。
以上、備忘録終わり。
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