労働しないと創造は産まれない。
昨日までだいぶネガティブな思考だったのだが今日少しだけ吹っ切ることが出来たので短いがポジティブであり、ネガティブな文章を書こうと思う。
職場から自宅待機を命じられて1ヶ月が経った。未だに職場復帰への目処が立っていない。大学院を修了後、数年間音楽に打ち込むと意気込んで再スタートを切ったつもりがこの状況である。「今は己を磨いていこう」と自粛期間に色々な方向から今後へ役立つようなアプローチを行ってきたが少し精神的にまいってきている。曲作りをしても文章を書いていても「でも僕、無職だしなあ」と嫌な思考が飛び交う。
学生時代、色々な顔を持っていた。バンドマンとしての自分。学生の自分。居酒屋スタッフ、スタジオのスタッフの自分。そしてライターとしての自分。全部を懸命にこなすよう努力し、目が回る日々だったが追い込まれているときのほうがすべてうまく行っていた気する。
好きなことがより良くなるには、しないといけないこととの同時並行が必要で、一種の現実逃避からの過程が、理想的な物事を産む要素なのではないだろうか。
1個の十字架なようなものが余暇の活動を刺激する。
正社員になるという選択肢をしなかったのは僕だが、労働がなくなることは予想できなかった。これからどうなるか分からない。ライブをして着々と聴いてくれる人が増えていた矢先のことである。
今はただ日常に戻った時への準備をすることと、今後の自分との向き合い方を真剣に考えないといけない時期なのだなと感じる。
好きなことで生きていくとは当たり前だがそんなに甘くない。
この期間はそれを教えてくれた気がする。
社会に所属していることは忘れてはならない。そして少し焦点を絞ると、音楽文化に所属している僕はもっと縦断的・横断的に物事を捉えなければならない。
課題がはっきりした苦しい春先のことである。