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若い頃に資産形成する意味

こんにちは。きゃべつです。
引っ越してからカーテンがない生活をしています。日光による強制起床という早起きの技を覚えました。

今回は過剰な資産形成を行う一人として、若くして莫大な資産を築こうとする風潮(若年FIREや年収1000万円目指そう等の風潮)について、一つの考え方を記事にしたいと思います。皆さんの考え方も教えてください。

資産形成という社会不安

まずは、マクロな視点で、
若者が過剰に資産形成を行うことは、国民性が大いに関係していると思いますが、あまり良いように思えません。

そんな私もその過剰な資産形成を行う若者の一人ですが、「将来への不安から資産形成を行う」本人にとっては将来の安心材料となり、賢い選択肢かもしれません。
しかしながら国全体で考えれば、本来の収入を若者の無限の可能性に投資できずに、大企業(既得権益寄り)への株式投資に回っているという悲しい状況です。

資産は不安を解消しない

若年(25-30歳)でFIREを目標としてる身として、16歳から23歳の7年間かけて資産形成をしてきました。不安から逃げるようにして銀行口座の数字が増えるたびに安心感に浸ってきました。

当初の安心感は次第に薄れ、銀行口座の8桁はこれ以上幸福感を高めてくれるものではなくなりました。
そこでFIREを目指した原因に目を向けるようになり、その原因を直接解消しなければいくら資産があっても不安のままであることに気づきました。

FIREという逃げの選択肢

例えば、「仕事が辛いから、仕事を辞めても生きれるようにFIREしたい」のような考え方があると思います。FIREすれば仕事のプレッシャーがなくなり、幸せに生きれるのではないかという妄想があります。

ここで、人が幸福感を感じる要素として「肉体的」、「精神的」、「社会的」が挙げられますが(WHO憲章前文)、FIREは「社会的」な要素を満たしてくれません。FIREでは、FIRE前は人との繋がりを最小限にしお金集めに奔走します。FIRE後では出費を抑えるために人との繋がりを最小限にします。

仕事が辛くてFIREするのに10年頑張った所で、心の状態はどうなるでしょうか。その後に念願のFIREをして人との繋がりがなくなった状態は、人間不信を加速される気がしてならないです。「仕事が辛ければ仕事を換えて自分らしく仕事できる職場を探してみる」、そんな単純な論理をFIREの風潮は薄めている気がします。

FIREを目指さないために

私達は自分らしく、自分の得意なことを発揮して、他者に貢献できることに喜びを感じる生物だと思います。FIREはその喜びを奪い、自分の中(金銭の授受による恩恵・他者との繋がり)で完結させます。
FIREなど煽られて自分の中に閉じてしまうのは、世界を楽しむ機会を損失しています。

FIREを目指さないために、自身の置かれている環境不満・不安があるなら、まずそこに目を向けてみるのはどうでしょうか。

FIREの負の側面を強く感じ記事にしました。
誰かの考え方の一つになればと思います。
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