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(読む必要なし)

何事も外野にいるとつまらないもので、逆に言うと飲みサーのアホどもが週末におっぱじめる一気飲みコールなんかも輪の中枢に潜り込んで適当に手拍子してればそれなりに面白いものだ。俺だって東京かどっかで頑張っている才能ある他人のアップロードした動画に対して無慈悲に「くだらねー」とかなんとか吐き捨てて低評価ボタンを強めに押したあと、友達と待ち合わせている近所の安居酒屋に向かい、本当の本当にくだらない恋愛相談にたっぷり3時間半付き合ってやって、会計が2人で6000円ちょっとだったところを励ましも込めて若干多めに4500円くらい払ったりしている。これは俺という個人が冷たいとか優しいとか矛盾してるとかじゃなくて、誰でもやっていることだ。繰り返しになるが、蚊帳の外にいると、どんなに面白いものでも、やっぱりちょっぴりつまらないという、それだけのこと。だからちょっとした事にでも遠くから文句を言いたくなる気持ちは、すごくわかるというか、もっと踏み込んで言えば、遠くから文句を言うってこと自体、我々が蚊帳の内側に入り込んでその文脈に同化する方法の一つなんだろうなぁと思う。ネット上のアレコレでも友達同士でやる陰口でも、何かに対して、讃辞であれ文句であれ、何らかのリアクションをしてやると幾らか気分が晴れるのは、いかに末席の末席といえど、自分たちがそのコンテンツに関わった当事者になれるからだろう。だからM-1でも何でも、公式ぐるみで視聴者に優勝者を予想させたり、YouTubeにほぼリアルタイムでネタの動画を上げて、あまつさえコメント欄の開放まで行って、侃々諤々やらせたりしてるっぽい。今日もネット上でお笑いの素人が「あんなネタは漫才じゃない」と言ったり、それに対してまた素人が「そんなこと素人がゴチャゴチャ言うならお前が来年出てみろ」と言い返したりしている光景をたくさん見かけたが、こういう感覚になってきてからはそういうのに対してもとにかく「年末だなぁ」と感じる程度になっていて、一々“豈図らんや”みたいな顔することそれ自体、飽きたというよりは慣れてきている。今年はとにかくインターネットに疲れたり怒ったりしている人をたくさん見た。遠くにいるようでそれなりに近い場所にいる他人に対して抱いている自分の感情や発言が何に起因していて、その結果として何をもたらすのか、という自意識は、何もそれらを改善するとか是正するみたいな大げさな述語を伴うわけじゃないにせよ、それなりに借景しておきたい。今さらインターネットやSNSについての随感を記すこと自体、ありきたりを超えてもはや年中行事めいてきている。それより何より、最近やたら寒い。

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