脆;6,742

感染症が流行したかどであらゆるイベントが全部キャンセルになってとにかくヒマだったということもあり、あちこち東奔西走しながら4日ほど毎晩朝まで酒を飲んでいたら体調を崩してしまった。しかしまぁ、どんなにヒマでも、「早くライブがしたい!」とか、「今回作ったシングル、及びそれに関する映像・インタビュー記事などを早く公開したい!」とか、「空いたスケジュールを活用して今のうちに沢山曲を作りたい!」みたいな感情が一切浮かんでこないのは流石に自分でもどうかと思う。どう、ってまぁ別に俺個人としては一向にかまわないんだけど、何というか、各方面から俺たちの作品やイベントの制作に真剣に携わってくれている沢山の人たちに対して、この情熱というか責任感のなさを道徳的に説明できないなぁというぼんやりとした違和感がある。ていうかそもそも別にさほど音楽に対する情熱もないならどうして俺はこんなことをやってるんだろう、と考えることが最近よくある。バンドなんてものは───ましてやギターボーカル、などというパートは───本当にバンドや音楽が大好きで、というかもはやバンドや音楽以外は何も好きじゃない、くらいの心構えと、心の底から表現したいことがあって、ライブで自分の曲を歌う前に自分がその曲に込めた想いを、泥臭くとも真っすぐに語れるようなタイプの人間がやるべきものだ。俺の中にそういう類の熱狂は、欠片もない。ていうかそういう人たちを直視すると自分がそれをやっている光景を想像して共感性羞恥みたいなものが働きまくりすぐさまライブハウスの外に出てしまう。ガチで高所恐怖症の人は高いビルを下から見るだけで怖いと言うが、そういうやつだ。ていうかもともと俺は昔から弁護士になりたかったのだ。まぁこんなことを言うと、はぁ~それはまた小さい頃賢かったんどすなぁ~と嫌味を言われるだろうが小学生の時も中学生の時も俺の成績は常にクラスで下から5、6番目くらいで、ほとんど定員割れしているような高校にギリギリで入ってからも成績は常に留年最有力候補の一角を担い続け、何とか大学に入ったはいいがなぜか同時に受かった法学部を蹴って文学部に入った挙句三留までしているので、資格という意味ではどっちみち俺に夢や目標を語ることはできない。しかし能力値や現実味の話はともかく、あくまで感情として何になりたいかといえば弁護士になりたいなぁと思っていたのは事実であり、少なくとも、大学生になるまでiPod(死語)すら持っておらず、たまにみんなでカラオケとかに行っても終始部屋の隅で携帯をいじっていたような俺にとって、ミュージシャンになりたい、なんて目標はまったく、毛ほども、想像の対象ですら、なかった。バンドでギターを弾いたり、歌を歌うようになったことは、今を遡ること4年前、つまり大学三回生の頃に突然現れた、錯乱にも似た単なるバグだったのである。その頃もやはり、今と同じように毎日死ぬほどヒマだったので、来る日も来る日も酒を飲んでおり、ある日、阪急京都線は茨木市駅前のでっかいビルの中にあった今は亡き土間土間の窓際席で高校時代の同級生三人で泥酔していた俺たちは、どういう話の流れか忘れたがとにかくめちゃくちゃイカついハードコアパンクバンドを組んで世間を威圧しようぜ、ということになり、俺は勢いのまま、文字通り名もなきハードコアパンクバンドのボーカルになったのである。当時の俺はベースをちょっと触った事があるくらいで当然ギターなんかろくに弾けなかったので、バンド活動と言っても深夜の23時頃から朝の5時とか6時くらいまで三人でスタジオに入って、部屋の中心に焼酎の一升瓶をドンと置き、ミキサーに繋いだスマホから轟音でEDMを流して都合7~8時間ほど一気飲みを繰り返す、というようなもはや今日びチンパンジーでももう少し複雑な遊びをするんじゃないか、と疑問になってくるような謎の活動が主だったのだが、一応全員が同じ高校の軽音楽部の幽霊部員だったのでギリッギリ、まぁドラムで言えば「8ビートならちょっと叩けるよ」くらいの、ギリッギリな楽器の心得めいたものはあったし、何より俺は大学で軽音サークルに入ってよく知りもしない9ミリパラベラムバレットのコピーバンド(担当はベース)をやったりしていたので、一応、弾けてるのかも怪しい楽器を三人で思い思いにかき鳴らしたり、マイクに向かって奇声をあげたりも、あくまで一応、するようになっていった。ちなみに大学に入るまで落語研究会に所属しようと考えていた俺がどうして9ミリパラベラムバレットすらろくに知らない状態で軽音サークルに入ったのかというと、当時の俺は頭頂部の髪だけを腰くらいまで数年かけて延ばし続けて三つ編みにし、そこ以外の部分を極度に脱色する、という中々文字媒体では説明しづらいぶっとんだヘアースタイルを選択していたため新歓シーズンにキャンパス内を歩いていると音楽系のサークルからやたらと勧誘を受け、「フン……別に興味ないが、一応見ておくか……」と謎の上から目線で新歓コンパに紛れ込んでみたら泥酔した先輩たちが音楽の話などそっちのけで何事か言い争いながら焼きそばを投げつけ合っていたのでこっちの方が面白そうだなと思い直して、「ほとんど出席はしてなかったものの、高校時代は一応ベーシストとして軽音楽部に籍があった」というあまりにか細すぎる過去の栄光を片手に入部したという経緯がある。まぁとにかく、めちゃくちゃBPMの速いハードコアパンクバンドをやろうと言って始まった名もなきバンドだったが、いざスタジオに入ってみると全員、というか特にドラムが下手すぎてあんなジャンルは選択肢から真っ先に外れたので、もうちょっとだけテンポを落として、普通のロック/パンク/ポップス調の曲を作ろう、ということで色んな曲のコード進行を参考にしながら曲を作ってみたら、まず最初に君の秘密になりたい、という曲が出来て、それから夜間通用口、星、京都線、神崎川、くらいの順番で一気に曲ができた。アレンジをがらっと変えたり、歌詞を微妙に変えたり、逆にほとんど何一つ変えなかったりしながら今のバンドでもライブで毎回のように演奏している曲たちだ。どっかのタイミングで俺のサークルの一つ下の後輩でありサークル内では「お前は顔がでかすぎるから皆からちょっと離れて喋れ」などといじめられていたにしけんがリードギターとして加入してきたはずだが何しろ常に酔っていたのでいつ頃だったかはよく覚えていない。しかしとにかく当時の俺たちの曲が出来る速度たるやそれはもう凄いものがあって、京都線なんかはスタジオの合間にあった15分か20分そこらのタバコ休憩の間にゼロから一曲丸ごと出来上がってしまったりした。なんかもう、作詞作曲、という言葉を聞くとパソコンに向かって神妙な面持ちで音を打ち込んだり喫茶店に行ってじっくり紙とペンで歌詞を考えたりする、みたいなイメージがあるかと思うがあの頃の俺たちの場合はそんなものとは全くかけ離れていて、メンバーと日本酒の2Lパックとかを直に回し飲みしながら俺が即興の弾き語りみたいな形で原型を作ってそれをバンドアレンジに起こし、その録音を家に持ち帰って歌詞の細かい字数や助詞を整える、くらいの感じで曲を作ることが多かった。神崎川という曲に至ってはいつどこでどうやって作ったのかすら全く記憶になく、泥酔していたらいつの間にか携帯のメモ帳に歌詞があってボイスメモにメロディーがあった。元々ほとんど素人だったのが逆に功を奏したのか、なんか、曲を作る、とかバンドをやる、みたいなこと自体が新鮮で楽しく、放っておいても勝手に曲があふれてきたのだ。最初は居酒屋の悪ノリから始まってダラダラふざけながらやってたのにライブとかもどんどん決まってくるし、普通は白盤のデモの無料配布とかから始まるところを活動開始から半年か一年くらいでいきなりキャラメル包装のフルアルバムを作ってしまったりした。もちろんアルバムと言っても素人が集まってせーの、で一発録りして、ちょっとギター重ねてラフにミックスしました、程度の音源だったし、マスタリングという概念を知らなかったので全体の音像もめちゃくちゃだったし、演奏自体も、ライブじゃ全然ちゃんと弾けないから全員大声で叫んでるだけだし……みたいな状態ではあったが、外から見れば酔って暴れているだけにしか見えない俺たちをなぜかチェックしてくれている人はそれなりにいたようで、事実、最近になって知り合って常に行動を共にしている某出町柳の魔窟の主、セイヤは前進バンドの頃から俺の曲を知ってくれていたし、CRYAMYのカワノは俺と知り合う前から俺らのライブを見に来てCDまで購入していたという。繰り返しになるが、ふつうギターボーカルなんて、バンドが大好きで、逆に言えばバンド以外は何も好きじゃない、くらいのやつがものすごい情熱や執念をもって始めるものなのに、俺の場合は「なんか知らんけどふざけてやってみたらめちゃくちゃ適性があったせいでやる羽目になった」といった方が感覚的に近い。歌もギターも最初はそりゃ初心者だったからド下手だったけど、巷でよく言われる「Fコードが押さえられなくて~」とか「オルタネイトピッキングが難しくて~」とか「ギター弾きながらだと全然歌えなくて~」みたいな障壁に引っかかったことも、一度もない。泥酔してガハガハ笑いながらスタジオに入って見様見真似の弾き語りで湘南乃風を合唱したりしていたらいつの間にか普通に弾けるようになっていたのである。人間、一線を越えて酔っぱらうと意外と恥も外聞も捨てて何でもできるものだ。そう考えると、今やっていることというのは四年前のそれからちっとも───まぁ、曲を作るペースは流石に落ち着いたとはいえ───変わっていない。酔っぱらってガハガハ笑っていたらいつの間にか曲が出来ている。それがCDになり、ツアーが決まって、仲間が増えて、それがまた曲になる。ロック/パンク系のバンドというのは数ある音楽ジャンルの中でも比較的、曲そのものは勿論だがメンバー個人のストーリー性、みたいなものに面白さがあるジャンルだと思うが、まぁ見てて分かるだろうが俺には、バンドをやるにあたっての苦労話というか、ぶち当たった障害とか、キツかった下積み時代や挫折体験、みたいな、ドラマチックなエピソードがあまりない。当時自然と、吐き捨てるような勢いで出てきた歌詞たちも、せいぜい女の子に振られた、みたいなことを極限まで耽美的に言っているだけだ。まぁ、もっと辛いことも多少はあったのかもしれないが少なくとも酔っていたので忘れている。何が言いたいのかと言えばつまりバンド活動というやつは俺にめちゃくちゃ向いている。それは確かだ。楽しそうだし、最高じゃん、と周りにも言われる。ならば何が不満なのかという話になるが俺はこう見えて周りや世間の目を過度に気にするところがあるというか、意外と周りと自分の違い、みたいなものをコンプレックスに思って周囲と同調しようとする日本人的な価値観を持っているところがあり、大学時代の同級生たちが真っ当に就職してそれぞれ立派なキャリアを歩み始めている只中にあって、俺ひとり毎日昼からガハガハ酔っぱらっているという現状を勝手に対象化して勝手に形のない不安を感じてしまったりするヘボさがある。思い返せば、小学校一年生の時に転校を経験して、みんなが知っているそのクラスの常識や流行についていけないことに恐怖を覚え、それから2,3年間ずっと友達が出来ず図書室に引きこもっていたのもそうだし、どのみち就職する気がない以上さして必要でもないはずの大卒資格に三留までしてでもしがみついたのだってそうだし、そういえば弁護士になりたかったのだって、ある意味とても分かりやすくみんなに賞賛されて権威のある職業であったからだろう。俺は、能力的な向き不向きはともかく性格としては意外と小心者で、小市民的で、人前に出るようなことがあまり好きではないところがある。冒頭でも言ったが、そもそも自分の曲をみんなに聴いてほしいとか、人前でライブをしたいといったような、この職業にかなり必須な自己顕示欲の類も、元来薄い。カメラを向けられると変な顔をしてしまうのだって、自分がどんな顔で写ればいいか分からないからだ。覚えていないほど小さい頃から写真を撮られるのを嫌がっていたらしく、長男だったのにほとんど写真がない。自分、というものを他人から強く認識されるのが割と苦手なのだ。あまり軽い口は叩けないが、“能力”ではなくあくまで“性格的な適性”の話をするならば、俺は間違いなく事務職とかに向いている。なのに俺は人と同じことが出来ない低能に生まれてしまった。小学校の頃から朝に起きるということが、これはもう病的に全くできない。自分の好きなこと、嫌いなことに限らず、何かに取り組むにあたって必要となる集中力や忍耐力の類が一切ない。バイトや講義のスケジュールはおろか、友達同士で決めた、自分にとって楽しみにしているはずのスケジュールですら、全く管理出来ない。頭が悪く、勉強ができない。高校時代なんて試験がほとんど赤点であったばかりか、全体の3分の1という出席数を満たすことすらできなくて、学校側のお情けで何とかかんとか卒業した有様である。自分の理想像と実際の自分との間に生まれるストレスに耐えられないからアルコールに逃げ、体と精神を壊し、入院までした。やりたい事と、出来る事はちがうのだ。俺の能力的適性と性格的適性には過度なねじれがある。やりたい事をやるのに向いてない俺が、別にやりたくない事とまで言わないがさほどやりたい事ではないバンド活動というものに従事して糊口をしのいでいる現状が、これはもう厳然としてある。なんかこんな事言ってるとお前なんて別にそこまで才能ねーよ、と言われるかもしれないが俺はコンビニのバイトすら三日と続けられず、大学時代、一か月から三か月程度のスパンで十数件以上のアルバイトを転々とし、常に親のすねを齧ってギリギリで生きていたので、俺が持っているすべての能力をパラメータ化するなら、一応それで飯が食えているという時点でアーティスト的な活動をする能力というのは俺の中で間違いなく相対的に最も秀でた部分である。まっっったく自慢にならないが、俺は他の労働や生産活動でここまで恒常的に飯を食えたことがこれまでの人生でバンド以外にひとつもないのだ。バンド活動、なんてやつは世間的に「やりたいからやってる事」として捉えられることが圧倒的に多いから事態は余計にややこしい。俺のように「別に大してやりたくないけど、これしか向いてないからバンドやってる」みたいなやつ、俺の周りでは俺以外に出会ったことがない。みんなちゃんと音楽が大好きだし、ちゃんとそれぞれに音楽的な原体験というかかけがえのない思い出があって、その延長線上に今の日々の生活や、叶えたい夢がある。何というか、そういうのって、筆舌に尽くしがたいが、とにかく、美しいなあと思う。俺の場合、俺という生き物の姿そのものがとにかく歪にゆがんでいて、周りに参考になるモデルケースや前例が見当たらないのだ。こんなこと言うとめちゃくちゃキモいが、カートコバーンってこういう感じだったのかな、とか夢想したりする。いや、とはいえカートコバーンがどんなやつだったかについて俺は全く知らないし、音楽としてもニルヴァーナはうるさくて下品だから嫌いだ。まぁスメルズなんたらしか知らんからそうじゃない曲もあるのかもしれんが代表曲があれな時点でお察しである。とにかく、世間と違う生き方をしている奴らの中でも俺はひときわ他人と違う、恥ずべき存在であるという被害妄想がある。個性、という言葉はよく誉め言葉として通用しているが、個性があるなんて、本来軽蔑されるべきことだ。本当に強いやつは個性なんかに逃げない。他人と腕力や頭脳やルックスなんかで真っ向から競合すると負けてしまう奴らが、ライバルの分母を少しでも減らすために個性的だの何だのという言葉に逃げるのだ。個性。脆弱な個が最後に選ぶ慰めの言葉だ。自分の弱さだの、孤独だの、そんなものを人前で大声で歌って共感や同情を呼ぶ商売も、情けない。何より、孤独感を歌う曲を4人で、そして大勢の聴衆の前で演奏しているということ自体に矛盾を感じる。なんだそれ。ギャグだろ。完全なる出オチだ。冷や汗が出る。冷や汗が出る。冷や汗が出る。とりあえず、酒を飲むことにする。

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