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za gure-to esuke-pu

今はどうなっているのか知らんが俺が在籍していた頃の某大学文学部は入学から一年の間はとにかく無暗やたらと一般教養科目を詰め込まれ、二回生に進級してから初めてそれぞれの希望する専攻へと分属されていくシステムを採っていた。入学から数週間のオリエンテーション期間でほんの少しだけ交わった同級生たちは、心理学を専攻してゆくゆくは臨床心理士になりたいだの、美術史を専攻して学芸員を目指してみたいだのと好き勝手にほざいていたが、俺は元来四年間ダラダラするためだけに大学に入ったのだし、もっと言えば五年、六年……いやもう正直言うと十年でも二十年でもここでダラダラしてやろうと思っていたので、「留年していても他の専攻に比べればいくらか恰好がつくだろう」という浅ましすぎる理由から哲学科へと舵を取った。しかし恰好がつくものにはやはりそれなりの理由や代償があるもので、分属して早々の二週目にはもう記号論理が何たらかんたらとかいう数学の応用みたいなわけのわからん謎テクノロジーの演習を必修科目として大々的に押し付けられ、「トイレに行く」と言って教室から一目散に逃げ出した俺は「いや、数学が嫌いだから文学部に来たんだが?いや、数学が嫌いだから文学部に、」と小声で反芻しながらまっすぐ帰宅し、電灯のスイッチよりも先に自慢の愛機であるWindows7(CPU:Intel Core i7/RAM:8GB)の電源を入れるや否やAnitubeで“新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に”をまたぞろ眺め、作り出しうる限りすべての皺を眉間に寄せながら「やはり旧劇のラストはあまりにも哲学的示唆に富んでいるな」などとSNSアカウントにひとりごちることであたかも自分が何らかの哲学的演習を一通りこなしたかのような幻覚に浸っていたのである。親の金で大学に逃げ込んでおいてその大学からも逃げ出すとは何たる撞着かと思われるかもしれないが、しかし俺にとって大学への逃避と大学からの逃避はほとんど表裏一体であり、つまり、この世のありとあらゆる課題や責任から逃げ出したい、というへっぴり腰を全ての行動のガソリンにしているという点だけは自慢じゃないがこれまで生きてきた中でただの一度もブレていない。長々と何が言いたいのかというと大学を卒業してかりそめにも社会という荒野に行動してそろそろ二年が経とうかという今、偉大なる逃亡者である俺の中に沸々とまた大学への逃避欲求が湧き出てきているということだ。それも「あぁ、十八歳の頃に戻りたい」といったような有り触れた夢物語のそれではなくもっと具体的というかめっちゃ普通にどっかの大学への再入学を目論んでいるのである。そう、たとえば今度は原級留置のエクスキューズとしての哲学ではなく、真っ向から国文学をやり直してみるのはどうだろうか。そういえば昔の俺は漠然と法律家を志していた気がするし、法学系の学部も悪くない。いやいや、せっかく二度も入学するなら思いきり趣向を変えて経済系を……などと、クリスマスを目前にした幼稚園児が仮面ライダーベルトとデラックス変形ロボを天秤にかけるが如き純粋さで無様にはしゃぎ回っているのだ。逃げても逃げても明日は来るというのに。いつか息を切らして、暗い路地裏で追っ手に背中を撃たれることは最初からわかっているというのに。それでも逃げたい。逃げ続けたい。何度でも何度でも学生になって、何度でも何度でも夜中に坂口安吾を斜め読みし、何度でも何度でも憂鬱そうな顔がしたい。誰が何と言おうと、どんなマッチョにしばかれようと、俺はそのうち再び学生の身分に返り咲くだろう。未来の同級生たちよ、どうか俺に「ゆっくりしていってね!!!」以外、何の言葉もかけないでほしい。人生は自由なんだ。自分の人生を肯定したいがために他人を罵倒したり、陰でクスクス笑ったりとか、もういいよそういうの。君はもう、ひとりじゃないから。上海蟹食べたい、あなたと食べたいんよ。上手に食べたいんよ。東京タワーだってあなたと見る通天閣には敵わへんよ。あと普通に家系ラーメンの店が家の近くに出来てほしいんよ。マジで全然近所に無いんよ。毎回毎回天満まで行くのめんどくさいんよ。でも気づいたら今日もまた天満におるんよ。何度ここへ来てたって、また来るのはあなたがおるからやもん……恋しくて憎らしい、大阪……

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