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ワンマンツアー振り返り day1

全国十数ヶ所を周るワンマンツアーの行程を決める打ち合わせが開催されたのは、東京・下北沢のいけすかない喫茶店だった。ぬるいアイスコーヒー、教養を微塵も感じない軽薄な内装飾とローソファー、俺は以前この店のオーナーと酔った勢いで喧嘩したことがあるし、喫煙所だって店の外。第一俺は、およそ下北沢という町そのものが持つ、どこか打算の陰りがある健全さが、未だにどうも好きになれない。学生じゃなくても学生セットが頼めてしまう、せい家下北沢店のあのシステムも、「まぁ普通にセットのほうが得だしな」と惰性でそれを頼み続けてしまう自分自身のことも。打ち合わせの席には制作MG郡司さんとバンドMG大場と俺の三人。俺はまず、ツアー初日の開催地は実質的なバンド結成の地でもある関大前TH-HALLにしようと言った。ともすれば演歌か時代劇と見紛うような紋切りのロマンティシズムを恥ずかしげもなくロックンロール・マジックのそれで敷衍してしまうのは数年来の我が悪癖で、今回もまた、それが発症してしまった由。それから、できるだけ寒い間に北海道に行きたい、とも言った。これは普通に、寒い時期に北海道に行ったことがないから言った。別にいいだろそれくらいの私物化は。俺をなめるな。そして、一旦のツアーファイナルは東京か大阪の大きい会場でやるとしても、アンコールというか本当の最終日は、沖縄のライブハウスにしようと言った。〽海が見えるまでは このまま真っ直ぐ、という歌い出しの曲がどこかにあった。島国なんだから、まぁデタラメでもとりあえず直進してれば大抵どこかしらの海には着くのだが、どうせ着くなら綺麗な海がいい。打ち合わせは一時間半程度で終わって、郡司さんは個人的に予約してあったマッサージ屋へ、俺と大場は、覚えてないがどうせ新宿かどっかに戻って飲み始め、破滅したと思う。破滅なしにスタートはありえない。ちょうど、スタートのない破滅が存在しないように。我等が母校、関西大学の目の前にあるTHーHALLは、知らんけど多分キャパ300から400くらいのライブハウスで、ほとんど毎日のように学生がホールレンタルで音楽のイベントをやっている/やっていた。俺もそういったイベントの数々を通してこの町でいくらか音楽を好きになり、打ち上げで泥酔したり、打ち上げで泥酔したことを後悔したり、なんでどうせ後悔する打ち上げに金まで払わなあかんねん精神で会費を一切払わずサークルに20万程度の借金を残したりしていた。未だに払ってません。すみません。いつだったか、THーHALL周辺で泥酔したあと、サッカー部の集団がコンビニの前でうるさかったのでうるせえと叫びながら側溝の鉄板を投げつけたら複数人に囲まれてめちゃくちゃ背中などを蹴られ、「お前らもっと他に蹴るべきものあるやろ!」と吐き捨てながら走って逃げたらさっき俺を蹴っていた陽キャがセンタリングを追いかける時の速度で走ってきてもう一度、強く、今度は太ももを蹴られた。「そうだ、背中より太ももを蹴るべきだった」と反省したのかよ。どうせ指定校の経済だろ。クソが。とにもかくにも逃げ帰り、あいつらが俺のこと蹴ったねん、と半泣きで後輩に愚痴を言ったら後輩は無言のまま、どこに持ってたのか知らんが新品のレモンサワーの缶を差し出してきた。あいつらに他のものを蹴れと説教したばかりできまりが悪いが、俺も鉄板なんかじゃなくて、もっと他のものを投げることができていたら良かった。たとえばそこでその酒の缶を、誰がどんな速さで追いかけて探しても見つからないくらい遠くへ投げ捨てられていたら。もう匙、投げちゃいました、みたいな顔をして、俺なんて、どうせ何者にもなれないんでね、とヘラヘラ笑っていたけど、駄目だった。本当の本当には、諦められなかった。アルコールだの何だので卑怯に誤魔化さず、何もかも男らしくきっぱり投げ捨てるなんて、俺には出来ない。なんとなく、“ムスカに追われて息も絶え絶えなシータが、壁の亀裂の向こうにいるパズーに「海に捨てて……!」と飛行石を渡すシーン”を思い出す。あれってあのあと結局、パズーが捨てたんだっけ。ふたりで石握りながら呪文となえたら何とかなったんだっけか。まとめてムスカに射殺されてた気もするけど、さすがにそれは記憶違いか、せいぜいネットのSSだろうな。ラピュタって最後の方マジであんま覚えてないな。何がどうしてエンディングで城飛んでいったんだっけ。どこかに君を隠してるからだっけ。あのどれか一つに君がいるからだっけ。もういいわ。すみません。レモンサワー、人数分追加で。

追伸 ライブ:良かった。打ち上げ:記憶がない。



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