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学歴とマッチョ思考の結びつき(3)~学歴の "高さ"は一体どこからか~

高学歴マッチョ男性の問題について語る上で、ここで拙noteにおける、高学歴、マッチョ、の定義について改めて確認したい。

どころで、By the way,(大学で身につけた高度な英語の知識をついつい披露)”高学歴”ってどこからなんでしょう?国立大学は全部高学歴?地方の国立大学も東京都内も同じレベル?それとも旧帝大?マーチ以上?海外大学卒はもっとすごい?私立大学は、早慶以外は全部だめ?でも有名な大学の関係者は、大学内の学部の難易度もこだわるよね?理系の単科大学の位置づけはどうなるの?文系の大学出身者からの認知度が無さすぎて、存在に気づかれてない理系大学は…どうなるの?

マーチ以上は高学歴?コアラのマーチとは違うの?ちなみにマーチというのは明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の頭文字をとっているのだが、このMARCHというシフォンケーキ並みの軽いふわっふわの語感のくくりを作った人は、誰なのか。

「お客様の中に、MARCHというくくりを作った方はいらっしゃいませんか!?」

それぞれが、特色も、歴史も、力を入れている学科もかなり違う大学なのに、一括りにする雑さに、入試難易度がMARCHよりも上の大学(早慶、あるいはおそらく難関国立大卒)を卒業したと自らを思っておられる、BネッセCポレーション社員等が適当に、わりかし、雑に考えたにおいがするぞ。。ぷんぷんするぞ。。(←真相をよく知らんけど!考えた方を知っている人がいたら教えてください!)MARCHというくくりをつくった、自分を高学歴だと思い込んでる輩(やから)はいねがー?(なまはげ風)

拙noteにおける「高学歴」は、「自らを高学歴だと思い、そのことを理由になんとなく周囲から持ち上げられていたり、自信のよりどころにしていて、自分のことを人よりも有能だと※自分で※思い込んでいて、態度がやけにLARGEサイズ(時にはグランデ)で、組織やサークル、何らかのグループなどを取り仕切る権限が自分にあると(主に自分で)思っている(主に男性)」という定義とする。

ここで一つ疑問が生じる。「そうは言っても、やっぱり難関とされる試験を突破している高学歴の人の方が、そういった試験を突破していない人たちよりも、有能なのだから、ある集団を取り仕切る立場になる人が多くなるのは当然なのでは?」という疑問だ。確かに、受験を突破していることは、すごいことではある。地頭(!)が良いのだろうから、権限を持つ側に立つのは当然ではないだろうか。そして、やはり高学歴な方々というのは、国政や、企業の経営などに関わっておられる方々が多いために、学生時代の知り合いが重大な決定権を持つ側になったりしていることも多くなる。「国」を自分たちが動かしているということになっていく。

本当に有能なのか、学歴があるから有能だと思われているのか…その境界はなかなか定義が難しい。バファリンの半分は優しさでできているが、その成分の大半をしめるアスピリンと、「優しさ」の由来となっている成分を、服用中に「あ、ここからが優しさだネ…」と判別など、できない。学歴の尺度が、仕事の能力全般と重なる部分は確かにあるし、有名な中高、および大学のネットワークは自分のような弱小高校卒の身にはおったまげー!と言いたくなるほどに、想像をはるかに上回るすごさなので、石を投げれば取引先のどこかにOBOGがいる、というような環境である学校の出身の方々は、純粋にうらやましい。特に経営者や重役がやたらに多い中学、高校や大学もあるので、そういう学校のOBOGは、自信があって、行動力があることも多く、そういう方が組織を引っ張ってくれると助かることも、往々にしてある。

しかし、とにかくこの長い長い文章で指摘したいのは、「本当にその人が有能であるかは若干不明だが、自分で自分のことを有能だと確信していて、その理由が自らの学歴にあると考え、その学歴に満たない存在や、彼らの価値観によって下だと思った存在をたやすくさげすむタイプの男性」というところである。半分が優しさでできていないバファリンとでも言おうか。飲んだら胃が激しく痛むバファリンだ。なんならハバネロが入っているバファリンだ。なぜバファリンで例えているかは、あまり気にしないでほしい。

そして「マッチョ」の定義である。

ウィキペディア先生によれば、「マッチョ」とは、

“男性がもつという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想や信条、行動をあらわす言葉。

メキシコのスペイン語 macho(マチョ)「雄の〜」という形容詞が変化したもの。 machismo (マチスモ、もしくはマチズモ)は「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合いがある。 イデオロギー(政治的信条)としては「タカ派、右翼、保守、男尊女卑」といったものと結びつきやすく、「ハト派、左派、リベラル、両性平等」といった信条は軟弱と退けられる。“

(雑に検索した)ウィキペディア先生の解説からすると、「タカ派、右翼、保守、男尊女卑」と「左派、リベラル、両性平等」は相容れないものとされているが、拙noteにおける「サブカル高学歴マッチョ」な日本人男性とは、政治的な信条はあまり関係ない。むしろ空気が読めないと感じるのか、政治的な話などは一切しないことも多いし、当然のごとく社会の中で上位層にいると確信してはばからない方々なので、大変に保守的であることが多い。市民運動などに対しては、とても否定的だったり、古い例えではあるが、土井たか子的な左派とされる女性の政治家などを、嫌悪していたりもする。自分達は優秀だと思い込んでいて、幼少期から同じように恵まれた存在の人としか接していないことも多いために、「自己責任論」をかなり強く内面化していることも多い。筋肉の有無も関係ない。強靭でも、勇敢でも、逞しくもなく、アウトドアの活動において重い米などを持ってくれなかったりして、場合によっては、女性以上にネチネチしている男性を指す(米を持たないって、誰のことだよ!フィクションと言いつつ、具体的だよ!)。

「好戦的、男尊女卑」に関しては、一見そんなふうに見えない方であることも多い。決して胸ぐらを掴んで大喧嘩、をするような男性ではないし、印象は割とソフトで柔和な方であったりもする。映画「マグノリア」におけるトムクルーズのように「女性をてなづけろ!」などと表立って言ったりはしない(最近久々に見返したポール・トーマス・アンダーソンの映画「マグノリア」に衝撃を受けた。日本語字幕つけた方、大変だったろうな…)。ただし、競争意識はとても強く、ある意味「好戦的」ではある。その場合の「好戦的」である特徴としては「あいつはすげぇ!」と誰かを持ち上げたり「あんなやつはダメだ」と無下に人を切り捨てる。

その持ち上げと切り捨ての際には、「学歴」「職歴」はかなり大きな要因となりうる。

〜学歴とマッチョ思考の結びつき(4) に続きます〜

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