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習い事は突然に 〜地獄のピアノ発表会(1)〜

  自分の地方都市での辛酸を舐めた幼少期の経験や、御三家の人々との交流のムネアツな思い出が、想像以上にアクセスを伸ばしている。数ヶ月前まで、読んでいるのは自分一人ではないか?と思うほどに誰も読んでいないnoteだったので、読む人が増えてくれていて、とても嬉しい(フォロワーは絶望的に少ないが)。

 やりたいとも一切思ったことがなかったのに、突然習わされることになったピアノにまつわる思い出について書きたい。

 ある日突然、母親に手を引かれ、近所のピアノ教室に通うことになった。母親の脳内ではきっといろんな思いがあったのだろうが、母親はその思いを私に対して伝えてくれることが、いつも全くなかった。ビジネスの基本とされる、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)が、常に、とにかく、なかったのだ。

 「突然、習い事が始まる」というのは、母親との関係に葛藤を抱えていた女性のあるあるだということが、田房永子さんの著書の中で触れられていた。その後、いろんな母と娘の諸問題についての本を読んだりする中で、気づいたことなのだが、母親は、母親の脳内の中に(長期のローンは組まずして賃貸で)住んでいた私に対して、別の人格を持った、母親とは異なる個性のある人間だと、全く思っていなかったのではないだろうか、という疑いがある。

 母親は古い価値観が相当に根強い農村地域の生まれであった。当時、ピアノを習えるような人はごくわずかな、まさに「育ちの良い」人々に限られていたらしい。音楽を楽しむ趣味嗜好はとても素敵なものだと思っているが、この、世の中の底が抜けてしまったような殺伐とした社会において、ピアノの意味が疑問すぎる。ピアノが弾けることというものの価値は、一体なんなのだろう。音楽と語学は習得に関して共通するところがあり、幼少期に身につけた方がおそらく圧倒的に有利なところがあるのだという気もするが、日本社会における幼少期の音楽経験というのは、本当に、一体、なんなのだろう。

 地獄のピアノ発表会(2) におそらく続く!



 

 


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