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この世界は全て偽りかもしれない。でも素敵でしょ? 4月9日の日記

この日は朝業務スーパーに行った。業務スーパーって面白いよね色んなものが安く売ってる。まぁ今回僕が買ったのカントリーマアムくらいなんだけどさ。
毎回毎回考えてるんだけどゲームの主人公って、どこいってもゲームBGMが彩られるようつくられてるじゃん?そこで思ったことがある

僕を操作してる奴ってどんなフィールドBGMが聴こえてるの〜!?

はい。これ、ネスたたにたまにある僕が主人公だとしてプレイヤーはどういうBGMが聞こえてるのか。というお話です。今これを読んだ貴方は「は?こいつ頭おかしいのか?」か「確かに〜!!」の二人に分けられたかと思います。まず前者のことを考えたお前。

かえれ!!!!


はい、前者派が黙るまで先生一分くらい待ちました。あっ?お前なんか言ったか?そうそう、黙って聞いとけ。

さて前者派を粛清した所で本題に入ります。僕が人生の主役、はたまた人類の主役かは知りませんが多分僕は何かのゲームの主人公なんですよ。このゲーム買ったやつの顔つまんなそ〜〜てか僕が何歳の頃のシーン切り取られてゲーム化されてんだ。小学生の頃やってた自転車ライディングデュエルの部分がゲーム化されてたら俺情けなくて泣いちゃうよ。

だから一応僕はなんかのフィールドを歩く主人公だと思うんだよな。おい、僕を操作してるプレイヤー。僕視点のフィールドBGMって何?多分結構楽天家だから明るいBGMだとは思うんだけど僕は如何せんゲームの住人だから戦闘がいざ始まっても無音なのよ。僕にとっちゃ現実だから。

夢のある話が僕好きで。普通に僕はこの世界がゲームで作られた世界でも絵本の中の世界でもいい。例えば君が好きなゲーム、漫画の後日談とかあるじゃん?僕らはいつも物語が終わったら「この先の未来はどうなるんだろう?主人公は結局〇〇とくっつくのかな?」とか考えると思う。だから多分この世界のプレイヤーか読者は結局ネスたたってあの後どういう余生を送ったんだろうとか考えてる。でも僕にとってはゲームでも本でもないから僕だけが永遠に後日談を知りえてる。

さてここで一つの疑問に行き着いたことがある。
先程も言ったけど自分が好きなゲームとか本とか誰にでもあると思うんですよ。

果たしてこの世界ほんとに本の世界とかゲームの世界。つまりフィクションの世界でないって言い切れる?

これは僕の仮説なのだけど多分僕らがフィクションの世界をプレイしている時に多分あっちにも描写されてないだけでこっちの世界についての御伽噺があると思う。だから一見こっちから見たフィクションの世界の住人も、あっちから見たらこっちこそが絵本に載っているフィクションの世界かもしれない。

でもまぁだからといってこれからの人生変わるわけじゃない。なんたってそうだとしても僕らにとっては今が現実世界で、生きてくしかないからだ。フィクションの世界の彼らがそうしているように。

それに僕らはいつだって後日談の世界で生きているのかもしれない。フィクションの世界の住人が知りたかった結末を今のこの手に握っているのも僕らだ。そう思えば人生、ちょっと面白いかもしれない。フィクションで作られた小さい魔法屋だって自分達が知らないだけでどこかの山奥にひっそりと店を開いてるのかもしれない。


深夜焼きそば。略して真ヤ・キソバ

深夜の焼きそばのテーマって多分ブチアゲのインスト曲が流れてると思う。



そう思えば人生無限大にたのしそうだね。

僕を操作してるプレイヤー。こんなBGM聞いてたらちょっと羨ましいな。


以上、人生を豊かにするかもしれないライフハックでした。

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