罪は精算するものではなく背負うもの 4月7日の日記

今日はいつも通り焼肉を食べに行った。無論いつも一人焼肉だ。実は一人焼肉は子供の頃からの夢だったので今は自分の好きでどこへでも行けるので幸せだと思う。子供の頃からお金を使うのには抵抗があって焼肉は何しろ一人二千円という当時サイゼリアばかりの自分にとっては食べてるだけで物凄く悪い事してる気分にさえなってた。
事実親が自分を焼肉に連れていったことは幼稚園、小学校、中学校、高校生。の青春の中でたった一度だけだった。今では一人で伸び伸びといつでも行けるのであの気苦労はなんだったのかと思わされる。でもまぁ今は好きなだけ行けるのでよしとする。過去は所詮過去なので気にしない。

過去といえばよく誰にでも俗に言う黒歴史というものがあって、当然自分も子供の頃、人に言えないような悪事を働いたことがあった。当然過去に行けたら自分はその当時の自分を殴ってでも止めようとするが決してその経験が悪かったから止めるのではなく、ただ殴りたいから殴るのだ。だって例えその時の自分を止めたって、悪事を行う時が先延ばしになっただけで根本的なことなど変わりはしない。悪事というのはその行為が悪いことだとわかってやっているから悪事なのだ。好奇心に負けて悪事を働き、そして制裁を受け、もう二度とするかと足を洗う。それが自分の思う人間のあるべき姿だ。
寧ろ悪事を働かない人というのが自分にとっては付き合いたくはない。どんな人間にも一時の中に野心などは秘めていて、いつかそれを実行する時が来る。キッカケは大きくても小さくても悪事をしたというのは変わらない。
いじめ問題も似たようなものだ。

悪事をしたものはその悪い事をした罪悪感を一生背負って生きなければならない

懲役だとか罰金だとかそんなの形での罪の背負わされ方は自分にとっては全然あまっちょろい。

犯罪における一番の罪はその悪事に一生後ろめたさを感じて生きる事。だからいくら当時の行いを懺悔しようと無駄で、どう足掻いても罪というものは小さくならない。

ただただ、辛くどうすることも出来ない罪悪感に押しつぶされながら生きるがいいと永遠に社会に突きつけられる。これこそが罪の重さだ。

もし自分が小さくても大きくとも犯罪を犯したならば悔いるべきだ。でも人間はそんな懺悔ができる人間ばかりではない。もし心のどこかに何かにつけて正当化だったり考えているのならば君こそが罪すらを自覚できない本物の犯罪者だ。

まるでこれを書いた自分が善人に見えるかもしれないがそれは大きく間違いだ。僕とて子供時代とはいえそんなことは罪の重さとは関係なく元犯罪者だ。ならばここで言おう、当時小学生だった自分の罪状を、読みあげよう。言っても罪の重さなどは変わらないが、僕の心が満たされるから言うだけ。だって僕はさっきからこれを読んでいる君に一方的に罪について熱弁してるカスだからだ。前フリはもういい、早く言おう。

僕は子供の頃やっていた100円ゲーム。ドラゴンクエストバトルロードビクトリーで中に入ってるカードが出なくなった際に、店員に言って直してもらってる最中に100円入れたんですけどカード出ませんでしたとホラを吹いた。

はい。言いました。でもこれだけだとちょっと分かりづらいので補足すると、こういう100円でプレイするゲームには1プレイ毎にゲームで使うカードが貰えるのだが、たまにお金を入れてもカードが出てこない時がある。それでカードが出ないと怖がってそのまま放置してどこかに行ってしまう子供が多かった。僕はその時、カードが出ないと出ている画面を見て店員さんを呼び、中にカードを入れる作業をしてもらってる最中にお金入れたんですけどカード出ませんでしたと嘘をついた。つまりこれは立派な詐欺だ。100円とて詐欺の罪の重さは変わらない。

だが結局カードを入れてる途中に僕は罪悪感に負けてしまい店員さんに本当の事実を話した。なんでこの時罪悪感に負けたかと言うとここら辺はうろ覚えなのだが僕はこの手法の詐欺は確か今回で初犯ではなくて確か一、二回くらいやってたと思う。だから多分罪悪感に負けたのだと思う。当然店員さんに「僕達を騙してたってこと?」的なことを言われた記憶が確かにある。それで涙ながらに謝り続けた。なんなら土下座もした。その時まだ一桁程度の年齢の僕は『罪』というものを知った。

まだ本当に子供だったのもあり、怒られるのを恐れた僕は親には言わないで下さいと何度も土下座した。店員さんはそんな自分を見かねてなんと言ったかはもう覚えてないが、渋々分かったと言ったと思う。だってこれは未だに親にはバレてないからだ。

と言った感じの罪を味わった。当時はまだ少年法が生きてたのもあり、特にお咎めはなかった。だが当時の経験が未だに自分の首を絞めてるのは間違いないし、僕はこれを受け入れなければならない。何故ならこの経験があったから僕はもう二度と万引きをしようと思ったことは一度も無いからだ。それは間違いなくあの経験で詐欺や万引きは悪と学んだからだ。

以降も犯罪などはせずとも自分の犯した罪はいくらでもある。例えば小学五年生の頃、K君を軽く虐めてた時期があったからだ。イジメと言っても集団ではなく個人で気に入らなかったから暴力を軽く振ってたというのもある。マジでカスだな。

だがそのイジメも長くは続かずクラス替えと共にそれは収まり、僕らは中学生になった。僕は当時彼をイジメてたことを心から彼と面と向かってめちゃくちゃ謝った。彼も「自分もやり返しとかちょっかいかけてたし別にもういいよ」とは言っていたが僕はどうしても自分が許せなかった。その時上記で言った、罪は罰や大小に関わらず一生背負って生きるものだと知った。
でも当時の反省点としては本当に彼と和解出来て良かったと思う。高校が違うため今でこそ会ってないが、彼と家で遊ぶくらい中学生の頃は仲が良くなった。詐欺をしてカードを騙し取ろうとした自分もまだ一桁しかないのに誰も味方が居ない中よく白状したなとは今でも思う。やはりいつだって罪悪感が自分の罪の重さを重くはすれど、その度に思う。


あの時で辞めれて良かった、と。

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