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ドルアーガの塔~2002年6月に書いたレビュー

今日で「ドルアーガの塔」AC版発売40周年だそうなので、私が22年前に、当時既にレトロゲームと化していた「ドルアーガの塔」をやっとPlayし、その斬新さに感激して書いた文章を当時のHPから掘り起こして一部再掲してみる

その文章によればそもそもAC版の発売日も7月20日と書いてある書籍(「ザ・ベストゲーム」「大技林」「広技苑」)もあれば、6月と書いてある書籍もあるらしい(「(復刻版)ナムコゲームのすべて」)けれども、まあ。


後世に引き継ぐことがなかったこのゲームシステムは、
どんな時代のゲーマーにも新鮮である~ドルアーガの塔

ゲームが好きだと自覚する人間ならば、誰もが知っているゲームの「名前」
しかし、このゲームをPlayした人間は、そのうちのどれくらいなのだろう?

それまでの私も、どちらかといえばPlayしていない方の人間だったけれど、ふとしたことが切欠で、PC版(2001.09.05 メディアカイト発売)をPlayした

しっかり向き合うと、ものすごく新しいゲームだった。
何より斬新に思えたのは、ボタンを押している間、主人公ギルは「剣を出しっぱなしにする」ということ。(色んなゲームは大体、ボタンを押した瞬間攻撃モーションをとったり弾を出すので、大昔にAC版を初めてプレイした時の自分には「アタックボタンを押したまま動作を入力する」という概念がなく、どう攻撃していいか全くわからなくてスライムにすら勝てなかった)
そしてそんな「剣を出しっぱなしにする」というシステムでの戦闘だった。

例えばナイトとの戦闘。正面からまともに交差すると、体力がすぐに無くなって死んでしまう。
だから、ナイトの防御力が低い、後ろや横をうまく突かなければならない。そのために、ナイトがすぐに振り向けないような「柱と柱の間」で戦う。
そう。「交差すること」や「見えない体力」という概念もまた、新鮮であった。
ドルアーガの塔は、ジャンル的にはアクションゲームやRPGに分類されることが多い。しかし、このジャンルにおいて「交差して戦う」というゲームシステムをとっているゲームは、ドルアーガの塔以前も、それ以降もほぼ見受けられない(私が知らないだけかもしれないけれど、とにかく後世でもメジャーな戦闘システムにはならなかった)。
体力が見えないことも、素晴らしいシステムだと思う。
交差しダメージを与えるということは、同時に自分にもダメージを被ってしまうということ。
だから、何人ものナイトと戦闘しなければならない時には、自然と緊張が走る。いつ死ぬかわからないからだ。体力が見えないというシステムは、交差するというシステムと、本当にうまく調和していると思う。
どんなにギルがアイテムを得て強くなっても、いつもナイトと戦うときにはドキドキしてしまう。
そして、どうやったら体力の消耗を最小限に抑えるような戦い方ができるかと必死に考える。
そんな瞬間が、とても楽しい。

ナイトの他にも様々な敵が存在していて、ナイトとは全然違った戦い方をしなければならない。
例えば魔術師系の敵。突然出現し、呪文を出して消えていく。ギルは呪文を盾で受けるか回避した後、魔術師達が消える前に剣で倒さなければならない。
交差せずに刺せば即倒せるため、ナイトよりも簡単そうだが、こちらの方がはるかに厄介である。
ひとりの魔術師の攻撃を盾で受けてさあ攻撃と剣を出した瞬間、別の魔術師が出現し、その呪文でやられてしまう。
この死に方は、ドルアーガの塔の中でもトップクラスに多い。
そうならないために、柱と柱の間で魔術師達を待ち伏せし(ギルが柱と柱の間に居る時、魔術師は出現しない)、そうしておいて魔術師を一度に出現させ、倒さなければならない。
スライム系の敵は、動いている間にはほとんど剣が効かず、飛び掛られるとほぼ一方的に即死してしまう。なので、スライムの手前で待ち伏せし、近づいてきた所を剣で攻撃する。
敵によって、こちらの攻撃方法も、防御方法も全く異なるのである。
ゲームではこれらの敵が混ざって出てくるので、ナイトの相手をしていたら魔術師の呪文が飛んできたり、魔術師に斬りかかろうとしたらスライムに飛び掛られたり。
的確な判断が随所で必要となってくる。だから楽しい。

戦闘のシステムはとにかく斬新且つ絶妙で、好きで好きでたまらない。剣を構えている時にも、右側からの呪文は盾で受けることができるところや、ローパーには剣を出していない状態であれば、体力は最低になるけれど何度もすれ違うことができるところなどもなかなか他のゲームでは見られない特徴ではないだろうか。

宝箱と成長

ドルアーガの塔が紹介される時良く書かれることとして、宝箱の存在がある。
”各面にある宝箱を出すためには定められた動作をしなければならず、発売された当時はそれを探し出すのが大変だった”
・・・大体このようなことが、必ずといっていいほど「ドルアーガの塔」のゲームの紹介には書かれている。
でもハッキリ言って私は宝箱の出し方なんて、前述の戦闘システムの素晴らしさからみると、かなりどうでもいいこととしか思っていない。
確かに自力で一生懸命探された方は尊敬するし、そこにいろいろな物語があるのを、とても嬉しく思う。
しかし私はこのゲームをタイムリーにした訳でもなんでもなくて、2002年、発売から18年経った現在にPlayしはじめたのだから。

ただ、宝箱に入っているアイテムについては、確かに魅力的なものが多い。
シールドやアーマーを獲得すると、ギルの盾や鎧が獲得したアイテムに変わる。
最初は白いソックスにツルンとした兜のギルが、最終的には青いラインの入った装備を全身に纏い、角の生えた兜を装備する。
見かけだけではなく、攻撃力や防御力も取ったアイテムによって格段に変わる。最高の鎧は、魔術師系の呪文をも1発だけ耐えられるようにしてくれる。
「強くなっている」という実感が、見た目と能力両方から伝わってくる。嬉しい。
容量やマシン性能が当時と比べものにならないほど進化した現在でも何故か、主人公のメイン画面でのグラフィックが装備によって変化するゲームは多くない。
装備が変わって強くなったのに、ずっと変わらない方が何かヘンだと思うのだけれど。

武器防具以外のアイテムもまた、塔を登るための助けになるもの、クリアに必須なものなど多種多様だ。
それらのアイテムがまだ十分でない20階台中盤までの戦いが、この塔の一番難しい所だと私は思う。
29階にある、壁を何回でも壊すことができるアイテム「ゴールドマトック」を入手した後は比較的思うように塔の中を動き回ることができ、強くなったと実感できる。
54階以降のギルは、ドラゴンやソーサラーの炎、全ウィルオーウィスプに対して無敵であり、ウィザードに不意打ちで打たれるスペル以外では死ぬことがなくなる。それぐらい強くなれる。
そして強くなるのに苦労した分、強くなったという実感が強く感じられるし、とても嬉しいのだ。
レベルや経験値が数字であらわされ、数字が強くなるだけのゲームとは一味も二味も違う感覚である。

ほとんど唯一無二


このように「ドルアーガの塔」は、有名でありながら、ドルアーガでしか持っていない特色あるゲームシステムのカタマリである。
同じく有名なナムコの「ゼビウス」は、有名で素晴らしいゲームであるが故にシステムを模倣され続けた。結果、今ゼビウスをPlayしても、私は昔のような感動を味わうことはできない。
しかしドルアーガは違う。そのゲームシステムの大部分は模倣されず、続編にも他のどのゲームにも受け継がれることはなかった。だから、今Playしても遜色ない、どこにもなかった新鮮な感覚を味わえるのである。
なので名前だけしか知らなかった方、是非やってみて下さい。

しかし本当に、このゲームの素晴らしさを理解し、このシステムを次に活かそうとしたゲームクリエイターは居なかったのだろうか?(と、やっぱり考えちゃいますよね)
考えた結果、私は確かにあからさまにドルアーガを意識したゲームの存在に気付いた。
それは、任天堂の代表作ともいえる名作「ゼルダの伝説」である。
ゼルダの伝説の迷宮は、視点や構成こそ全然違うものの、一画面内の構造はかなりドルアーガの塔に近い。
そして敵である騎士「タートナック」は、正面からの攻撃を一切受け付けない。なので、横か後ろに回りこんで斬らなければならない。
魔術師の「ウィズローブ」はワープで出現し、呪文を一発出して消える。呪文は直線に飛んでくる。呪文はリンクの盾で、正面から飛んできたもののみはじくことができる。
他にも随所にドルアーガの塔との共通点を見つけることができる。
しかし、ゼルダの伝説はドルアーガの塔の単なる模倣には終わらなかった。
ドルアーガの塔の良いシステムを取り込み、練り直し、一見しただけではわからないほど「自分のもの」として消化してある。ドルアーガの塔に似ている箇所も、言われなければわからないほどに。
それがゼルダの伝説が、名作と言われる所以のひとつかもしれない。

ゼルダの伝説もまた名作と言われ、多くのゲームがゼルダを模倣し作られた。しかしそこにはもはやドルアーガの塔の要素は無い。
だから今も、ドルアーガの塔は、ほとんど唯一無二な感覚を、すべてのプレイヤーに与え続けている。 [終]

2002年6月4日 絵も当時一緒ぐらいに載せてたもの

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