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たぶん食べもの

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即興の散文。食べもののことを書きがちだけど、食べもののことがまったく書かれていないときもあります。
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2023年5月の記事一覧

サイゼリヤのエスカルゴを昼間に食う。それはある種の豪遊【5/23】

サイゼリアではなくてサイゼリヤだ。1週間に少なくとも3回はその姿を見て、ひと月に3回は訪れているはずなのに、それでもちゃんと間違う。 残念ながら私の脳にはサイゼリヤの名前を正しく覚えておけるだけのキャパがないらしい。なので毎回律儀に検索している。 検索機能ありがとう。心より御礼申し上げます。 ところで今日はそんなサイゼリヤでお昼ごはんを食べたのだが、新しい試みとして、「真昼間にエスカルゴを食う」をやってみた。 なんていうか、なんとなく、今食べるものじゃないなぁって思っ

ひとりで運転ができた【5/22】

去年、運転免許を取って、取った途端に乗らなくなって1年が経った。 1年はとても早い。 免許証は身分証明書以外の機能をすっかり失いかけていた。免許証は財布にもするっとおさまってくれて、とっても便利な身分証明ではあるのだが、このままではいかにもまずい。切実に感じていた。 次第にわからなくなる、アクセルとブレーキの位置関係。 ペーパードライバーの定義にはいろいろあるようだけど、「アクセルとブレーキの位置関係を失念する」はひとつの大きな分岐点だと思う。 忘れてはならないもの

笑わないでいるほうが、難しい人もいるのだ【5/10】

自分でいうのもなんだが、よく笑うほうだと思う。 物心つく以前から、誰に対しても機嫌よく笑う子どもだったと親から聞いたことがある。それから中学生のころ、自転車を漕ぎながらにたにたしているところを友達の親に見られて、「この前あやこちゃん(私)が、自転車を漕ぎながらめっちゃにたにたしていたけど……大丈夫だろうか(意訳)」と聞かれたと友達から申告をもらったこともあった。 大丈夫かどうかは私もわからん。わからんけど、どうやらその笑いは自然発生的なもので、私は笑うことにたいして生まれ

ゆるい坂道はゆるくない【5/9】

ゆるい坂道、っていう言葉の響きがなんかいい。 だけど実際にゆるい坂道を登るとなると結構きつい。 駅から家までの途中には、ゆるい坂道が長くつづいている部分があって、帰宅途中に自転車で登っていると、「あーーー飽きた!」ってなる瞬間がけっこう頻繁にある。仕事終わりの自分には、ゆるい坂道の「じわじわと効いてくる感じ」が身にこたえるらしい。 今日も途中で飽きたので、自転車を降りて歩いた。自転車を押しながら歩いていると、なんだか妙に「今日も1日がまた終わるんだなぁ」という感慨が増し

ラーメンのおいしさの基準が、私にとっては難しい【5/4】

味のことが、たまによくわからなくなる。 たとえば納豆を食べながらふと思う。こんなに鼻をつくような臭みがあって、そのうえ粘りまであって、ひとことで形容しきれないような複雑な味わいを、「おいしい」と思えているのって、一体なんでなんだろうって。 パクチーを食べているときとかにも思う。すごく好きなのに、別のなにかに例えようとすると、香水とか雑草が脳裏にうかぶのだ。苦手と思う人がいることをぜんぜん不思議に思えない。 味の好みって、すごく、すれすれのところで、紙一重で成り立っている

ドラマに捜一が出てくる割合が高い【5/3】

休むことに飽きるまで何もしないぞ。 そう思っててもだいたい、いつのまにか何かしてる。 まず、どんなときでも排泄は外せないし、1食ぬけばすぐにお腹が空く。携帯を充電する必要もあって、春から秋までだいたい花粉症なので随時、鼻もかむ。音が聴きてえ!っていう急な催促が自分からくることもある。 今日は急にモルダウを聴きたくなったのでモルダウをかけてみた。家のなかに充満しているモルダウ、曲の雰囲気としては切なさの度合いがたいそう満ち満ちになっているのだが、無性に休日っぽさがある。

ピアノの音色が好きなんだと気がついた回【4/30〜5/2】

食べて満足して、眠いなぁと思ったら正直に「眠い」って言ったりする。会話が続かないなら無理には続けない。そういう関係性でいられるのって貴重なことではないのだろうかと、たまにふっと我にかえることがある。 日曜日は、むかし通ってた職業訓練校の友だちらと集まってごはんを食べた。みんなすごくおいしい!って顔をしていて、私もたぶん「めっちゃうめえ!」って顔をしていた。なんせ、なにもかもがおいしかったのだ。 あと、私は目黒連(敬称略)と、間接的に同じ席に座れたらしいことに衝撃を受けなが