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夢日記、芸術的に愛されたい。

※過去に見た夢の内容メモを読みやすいように書き直しています。

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ここは夢の中。夜の街。
薄暗い少し寂しげな街を満月の光が照らしている。
街は閑散としていて、街灯がぽつぽつと立っている。
人は私だけ。
こんな夜にはドビュッシー作「月の光」を聴きたい。

今回はそんな雰囲気の夢だ。



じっとり。
じわじわと。見られている。

それは着いてくる。
ヒールの音を鳴らしながら

私は誰かに追われている。
恐怖。終わらない誰かの視線。
何処へ逃げても見つかる。
道をグネグネと変えても足音がコツ、コツ、聞こえてくる。
追われている。私は誰かに追われている。
早く帰ろう。

私は部屋にいた。夢の中はシーンがすごく早く切り替わる。
きっと帰りついたのだろう。
私はいつもと変わらない、自分の家のリビングに立って居た。
私だけの空間なのに何故か、人の気配がする。
コツ、コツ、またヒールの音が響く。
逃げた筈なのにシーンが変わっても誰かに追われている。

じっとりとした空気。

ガチャリ。玄関が開いた。

そして私の居るリビングに男性が入ってきた。

捕まった。
けれど、不思議と怖くはなかった。

彼はまるで獲物を射るような、蜂蜜色の強い視線と微笑みを浮かべながら、私の腕を掴んだ。
さほど強くない力で引っ張られで、自分の体が空気のようにふわりと動かされる。
浮いている。重力を感じない。
まるで、体から魂だけを抜き取って連れていかれたかのような軽さだった。

暗がりの浴室。月の光だけが浴槽を照らす。

そこに私は連れて行かれた。
優しく、ふわりと、たっぷりと水のたまった浴槽に降ろされた。
少しひんやりとした水にゆっくりと浸かっていく。

私は何が起こったのか理解できていなかった。

ただただ頭もふわふわとしていて、気がつけば浴槽に訳もわからずに体を浸からせられていた。

彼は、私を湯船に寝かせ、私の腕や肩を掴んで私に神に祈るような姿勢をとらせた。
そして私の形を整え終えると、私の髪に水をゆっくりとかけ、浴槽には魔法の様に沢山の植物を浮かべた。

水面には草花が生え咲き乱れ、水中では茎や葉が体に触り、蔓草は首や顔に絡み付き、根が私の体を伝い這い、根を張り、私を吸い上げようとしている。

構図に満足がいったのか、彼は仕上げにと香を炊いた。
その香りが浴室に充満すると体の力が抜け、呼吸が緩く止まっていき、頭も今以上にぼんやりしていった。
神経毒の類だろうか、本当に何も分からない。

何も考えられない。

そんな状態の私を、彼は恍惚とした表情でいつ出したかも分からないカメラで撮り、「美しい」「美しい」と沢山の賛辞を唱えた。
ぼんやりとした頭でも、私はそれが嬉しかった。

もっともっとわたしに賛辞を。

”今の”私は美しい。


もう意識を持つのもやっとだ、もう少しで死んでしまう。苦しい。
でももう、その苦しさすらもわからなくなってきた。呼吸が止まりそうだ。
これが消えていく感覚なんだろうか。
このまま浴槽の水に沈んで逝くのだろうか。
そんなことを靄がかかった頭で考えている。

写真を撮り終えたのだろうか、彼は私の脇の下に腕を入れ、持ち上げ、柔らかく抱きしめてくれた。
力が抜け、言葉を発する事も考える事も出来ない、人形のようにぐったりとした私を抱きしめて、可愛いねと、とても綺麗だと何遍も言ってくれた。

惨めで何も出来ない価値の無い私を価値ある芸術品かのように大切に愛で愛してくれた。

私には根っからのネガティブと自己肯定感の低さと卑下癖があった。
それにつけ加え、人間不信と若干の男性恐怖症を患っている。
男性は近くに居るだけで、体が強張って恐怖の対象に変わってしまう。
それなのに何故か、今はこのまま彼の腕の中で呼吸する事を忘れ、微睡みの中で息絶えてしまいたかった。
名前も顔も知らない。覚えていない。
だけど、彼の愛情に包まれながら溶けて消えてしまいたかった。

目が覚めた時、余りにも鮮明に覚えているから、一瞬現実と区別がつかなかった。
だけど、私の胸には幸せが残っていた。満ち足りていた。

もしかしたら彼は、
本当はこんなに惨めな私でも、誰かに、誰かと愛し愛されたい。
恋や愛に憧れはあれど、できない自分。ずっと靄が罹っている。
深く深くに閉じ込め、鍵を掛けていた内面の思いを連れ出してくれたのかもしれない。
そんな私を肯定してくれる存在であってくれたのかもしれない。
彼から最初逃げたのは、きっと私自身の内面を覗かれたくなかったからなのだろう。



話は変わるが、絵画のオフィーリアをご存知だろうか。

そもそもオフィーリアとはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の登場人物だ。
悲恋と重なるショックの末に狂気に飲まれた彼女は、とある日、花環を作っている最中に川に落ち、溺死してしまう。

川に落ちたオフィーリアは、川に流されながらも目の前の死を受け入れ、そのまま歌を口ずさみながら川にゆっくり沈んでいく。

その死へ向かう一片を描いた、ジョン・エヴァレット・ミレー作のオフィーリアに私はこの世に沢山ある絵画の中で一番惹かれた。

一目惚れだった。

見た目にも美しいこの絵画には狂気と死が付き纏っている。
そんな神聖さの裏にある少しドキッとする妖艶さが堪らなく好きなのだ。

夢の中の私は、それをオマージュしていたのかなと思う。
悲恋よりは幸せを感じたけれど。

でも、擬似的にも私の理想とする形の芸術作品になれた気がして。
私の描きたい美の一部に私自身がなり、私を賛美してくれる人が居る。
それが夢でも心から嬉しかった。

そうだ、今の私は美しいのだ。

いや、”今も”私は美しいのだ。

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