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漫画『ぜんぶ壊して地獄で愛して』に見たアニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の影

 くわばらたもつ先生著の『ぜんぶ壊して地獄で愛して』、TVアニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』。

 一見全く違う作品に見えるが、私はこの作品の中にある共通項を見出した。(※パクリと言いたいわけでは無い。)
 
 以下、ネタバレを含みます。

 まず、各作品のあらすじは以下になります。

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 あらすじ

 吉沢来未は生徒会長も務める優等生だが、母の束縛などのストレスで破滅的な願望を募らせていた。
 ある日、教師の頼みで不登校気味なクラスメイト・直井と話をするが、上辺だけの言葉で話す吉沢を直井は蔑み、更には「ある動画」で脅してきた。その動画には、万引きをしようとする吉沢が映っていて…。

 逃げ場のない毎日でもがく少女たちの、バイオレンス青春ストーリー。

アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」公式サイト。https://anime.bang-dream.com/mygo/

 INTRODUCTION

「一生、バンドしてくれる?」

 高1の春の終わり。
 羽丘女子学園では誰も彼もがバンドをしており、遅れて入学した愛音も早くクラスに馴染めるよう、急いでバンドメンバーを探す。
 そんな中、「羽丘の不思議ちゃん」である燈が
まだバンドを組んでいないと知り、愛音はなんとなく声をかけるが……。

 傷だらけで不格好な、私たちの< 音楽(叫び)>。
 迷子でもいい、迷子でも進め。

 まず、既視感を感じたのはぜんぶ壊して地獄で愛して(以下、「ぜんこわ」と表記します)の第5話(「その赤だけは鮮やかで」)にて主人公吉沢来未の親友:心が来未に対して「私に出来ることならなんでもするよ……」と言ったシーンでした。

 何か聞いたことある台詞だなと思っていたら、それはBanG Dream! It's MyGO!!!!!(以下、「MyGO!!!!!」と表記します。)の第8話(「どうして」)で長崎そよが豊川祥子に「私に出来ることならなんでもするからっ……!」と言ったシーンでした。
 
 冗談で口にするならまだしも、本気でこの言葉(「私に出来ることならなんでもする」)を言うのは相当精神的に追い詰められている状況だと思います。

 ぜんこわの主人公:吉沢来未は毒親、贔屓教師、過保護な親友に囲まれ、その上自分は母親などのため、優等生を演じなくてはならず精神的に疲弊していきます。良い学校生活とは何なのか。誰にとっての良い学校生活なのか。全部、めちゃくちゃになればいいのに……そう思っていた矢先に現れたのが不登校のクラスメイト:直井でした。

 MyGO!!!!!の主人公:高松燈は幼少期から上手く周りと馴染めず(コミュニケーションを取れず)にいました。ですが、中学生の時にバンドに誘ってくれた豊川祥子、高校の時に同じくバンドに誘ってくれた千早愛音に会うことによって燈の世界は一変していきます。

 ここで両者に共通するのは閉塞感なのでは無いかと思います。周りの人間に振り回されて苦しむ来未、周りと上手くコミュニケーションが取れずに苦しむ燈。両者に上手く生きられない"人間の生きづらさ"のようなものを感じました。

 ぜんこわでは来未のクラスメイトたちが暴力を振るうシーンや直井は来未を言葉の暴力で傷付けるシーンが出てきます。

 MyGO!!!!!ではバンドで豊川祥子をきっかけにCRYCHIC(燈が前にいたバンド)は解散し、新しく結成しようとしていたMyGO!!!!!でも元CRYCHIC長崎そよをきっかけにバンドメンバーは分裂していきます。

 正直、見ていて辛いと思うシーンが両作品多いです。不仲と言えばいいのかわかりませんが、不穏な空気が続きます。
 それでも、彼女たちから目を離すことが出来ないのはそれらに一生懸命向き合おうとしている姿勢(青春とも言えるのかもしれません)があるからでは無いでしょうか。上手く生きられないし、周りと上手くコミュニケーションが取れないけれども、彼女たちは本音で話そうとしている(来未は直井に本音を引き出される)(長崎そよはCRYCHICの思い出の曲『春日影』を演奏されたことによって本音が溢れ出す)のが不器用で泥臭く人間らしさが感じられていいのでは無いかと思っています。
 両作品のキャラクターのリアリティというのはそういうところから来ているのかなと思っています。

 そして、両作品とも普遍的な気持ちの描写が上手い作品だと思っています。

 例えば、ぜんこわは簡単に言えば親や友達、教師がうざいだったり、今日は学校をサボりたい、万引きしたいや全部壊してしまいたいという悪い事をしてみたい気持ち(背徳感)で、そういう後ろめたい気持ちって誰もが持っていると思います。でも、悪いことをしてみたいと思っていても実際にそれを実行に移せる人ってやっぱり普通はいなくて、その気持ちを引っ張り出してしまった人が直井だと思っています。(罪深い女ですね(?)。)

 MyGO!!!!!は燈が上手く周りとコミュニケーションが取れなかったり、中学時代のクラスメイトとは上手く話せていた愛音が海外に行ってみればコミュニケーションが上手く取れなかったり、(愛音が)そよからはバンドのメンバーとして必要とされなかったり、要楽奈の心の居場所が無かったり、椎名立希が誰かみたいに上手く振る舞えなかった(同じ役割を出来なかった)り、そよはそよで元CRYCHICのメンバーと上手くコミュニケーションが取れず、幼少期に両親が離婚してしまって悲しい想いをし、それが後の人生にも影響を及ぼしました。

 以上のことから、両作品とも私は共感出来るところがあると思いました。

 また、両作品に報われない想いがあると思います。

 ぜんこわの来未の親友であり後の恋人となる心ですが、来未は自分を悪い方向性に仕向けようとする直井のことばかり見ています。
 
 MyGO!!!!!で立希が一生懸命に作曲した曲、あれは燈のことも考えて作曲したのでは無いかと思いますが、燈があてた歌詞の内容は愛音へ向けての想いでした。

 最後に、私が好きな作品の傾向は最近変わってきているのかなと今回の件でそう強く感じました。

 前は明るくて笑える作品を観ることが多かったような気がしますが、観ていて辛く悲しい気持ちになる作品も良いと感じることが増えてきたように思います。

 それは何故か?

 作品が同調してくれるというか私の気持ちをわかってくれている(代弁してくれている)ように感じられるからなのでは無いかと思いました。
 人は辛いことや悲しいことがあった時に何らかの方法で気分転換をしようとしますが、その悲しみがあまりにも深いと上手く気分転換が出来ないことがあります。そういう時に必要な作品というのがこういうものなのでは無いかと私は思います。(といっても、人によって気持ちが辛い時の対処法は違うと思うので明るく笑えるような作品を見ても良いと思います。)
 辛い時に無理に気持ちを明るくしようとしても余計に辛くなるだけだと最近ようやく気付きました。

 いつか自分の文章も誰かの心を救うとかそんな大層なことは出来ないかもしれませんが、日常の何らかの足しになれば幸いだと思います。

 最初は両作品を読んだ・見たことが無い人にも伝わるように書こうと考えていましたが、私の技量では難しかったのでこのような記事になってしまった事を深くお詫び申し上げます。

 どちらかの作品が気になっていただければ幸いです。

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