ノイズについての口述筆記

口述筆記というものがどういうものかわからないが、とりあえず僕は今喋ることによってこの文章を書いている。ノイズミュージックというものは存在するしかしノイズミュージックというものは存在してもノイズ自体は存在し得ない。なぜかというとノイズが本来的にはあってはならないものつまり物事を乱す存在であるからだ。ノイズがあるだけで文章というものは論理不可解なものになるし、プログラミングに至っては世界観を壊しかねないバグになる存在である。そのため、本来的なノイズというものは存在せずただ、ノイズらしい何かを音楽としているだけである。その立場において最も大事なことは、それが芸術であるか否かであるということである便器を泉といったあの変な外国人はノイズ的なものを芸術の段階に押し込めただけであって、決してノイズを表現した訳ではなかった。それは現代のノイズミュージシャンにも言えることである。結局彼らの話したいことというのは芸術の段階を広げたいだけであって、ノイズではない。それを踏まえた上で、ではどうやってノイズを作るべきなのかというと、やはり本来はこうしたいのであるが、それが技量的にも及ばず、思わず出てしまったという段階でとどめておくことであろう。そうすれば、それはノイズであって、ノイズミュージックではないそして、それをより主体的にするにはノイズ領域を増やす。つまりより難しいことを今の技量で挑戦することにあるであろう。私もおそらくこういう文章を描くにはあまりにも知識が無さすぎる。だから、この文章はノイズが多い。でもノイズをやりたいならこれでいいのだ。この領域に留めておけばいい。

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