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【海外】2007 マレーシアでの話 その8

またまた大変な期間が開いてしまっていた事を反省しつつ、最後になるであろうマレーシアの記憶を綴っていこうと思う。

しかし、現代日本のコンプライアンスとしてはよろしくないお話があるので、大昔の海外の話であると言う事を強く念頭に置いていただきたい。

マレーシアでの仕事も順調に進み、かなりスケジュールに余裕が出来てきたころの話だ。

仕事が早めに終われたので、リーさんがこの後飲みに行こうと提案してきた。

そして、大陸側のペナン地区から、ペナン大橋を渡ってペナン島のフードコートに行くことになった。

時間は夜で、暗くなってきているが、まるで日本の夏祭りのように屋外で屋台が立ち並んでいて、現地スタッフが手分けして食べ物とビールを買って来てくれていた。

私は注文もままならないので大人しく席に座って待つだけだった。

すると、足のないインド人がぴょんぴょんと腕で移動しながらやってきてチケットのようなものを差し出してきた。

どうやらお金を要求していて、お金を渡すとそのチケットをくれるようだった。

だが、リーさんがダメダメと言って僕が財布を取り出そうとするのを咎めると、そのインド人そのまま立ち?去っていった。

一体あのチケットは何だったのだろうか、よく聞く物乞いのようなものだったのだろうか、未だに謎である。

もしもどう言ったものなのか知って居る人が居たら教えて頂きたい。

その後、歓談しながら楽しい飲み会を行った。

ペナンの街並みを眺めながら通りを歩き、光るハイビスカスの街灯がなんだか日本のパチスロを思い浮かべたので携帯で写メを撮ったりなんかもした。

そしてお開きとなるのだが、私のホテルも現地スタッフの家もみなペナン大橋を渡った大陸側にある。

そこでふと気が付いたのだが、全員明らかに飲んでいるのである。

運転を担当していた現地スタッフ(名前を失念)も飲んでおり、手詰まりだと思われた。

だが、それとはお構い無しにみな車に乗り込み始めて私も一緒に乗るように促される。

「これって飲酒運転では?日本では厳罰になるんですけど!?」と慌ててリーさんに伝えると、「無問題、罰金日本で言う9千円グライ」と全然大丈夫じゃない事を言う。

そしてそのまま車は動き出し、あれよあれよとペナン大橋へ。

そしてこの道、高速みたいなものなのか速度が速い。

時速100キロほどでビュンビュン走って行く。

しかも車間距離がみんな狭い。

現代日本で言うと煽り運転かと思うような車間距離で、1メートルぐらいなんじゃないかと思う。

それはもう生きた心地がしなかった。

絶叫マシンの比ではない恐怖である。

頼れるのは現地の人の運転のみ。

もう祈るしかない。

ペナン大橋を渡る間シートベルトをがっちり掴んでガチガチの状態で過ごすことになったのだった。

無事にホテルに着いた時は変な汗がでていたのを覚えている。

無事に辿り着けて本当に良かった。


そして、ついにマレーシアでの仕事を終える日となった。

現場に立ち寄り、そのままリーさんが空港まで送ってくれた。

片言の日本語に頭を痛めたこともあったが、今となってはすっかり慣れたものだ。

なんだかんだで意思の疎通ができている。

空港に着くと、お互いに「アリガトウ」と感謝を告げ別れる。

片言相手だと何故かつられて片言になってしまう、不思議だ。

帰りはマレーシアから香港を経由して中部国際空港に帰るルートだ。

荷物を預け、ゲートを潜り、売店巡りを始める。

観光シーズンではない為、日本人はまったく見かけない。

若干暗くなってきており人の気配時代少なくなっているようだ。

そんな中、一際輝くある店が目に留まった。

全体的に金色をしている置物屋さんである。

仏像、ガネーシャ、ガルーダ、斉天大聖?なんかの置物が大量に並んでいた。

七福神でお馴染みの大黒様までいらっしゃる。

よくインド料理屋さんでガネーシャの像などを見かけるがどこで売ってるんだろうと思っていたがこんなところにあったのか!と謎の感動を覚える。

気づけばガネーシャとガルーダの像を買っていた。

こうして手持ちのリンギットを使い尽くして、満足したまま帰国するのだった。

次回、番外編

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