音楽履歴:小学校その4

小学校6年の時に音楽の先生が代わった。音楽の先生イコール鼓笛合奏クラブの顧問でもあるので顧問も代わった。

と、同時に鼓笛合奏クラブの活動内容も大幅に変わった。その先生が自前のブラスバンド用楽器やらリコーダー合奏用楽器やらを大量に持って赴任してきたのである。それらの楽器は生徒たちに貸し出される事となり、そこから一気に活動の幅が広がって合唱・ブラスバンド・リコーダー合奏の3つの活動を掛け持つクラブになった。

朝は合唱の練習。放課後はブラスバンドとリコーダー合奏と合唱を1日置きに交互にやるようなシステムだった。

ハモる、というのをここで初めて教わった。みんなでまずは先生がピアノで弾くドミソ・ドファラ・シレソ・ファソシレをパートに分かれてハモる。それらはドイツ語読みでツェーエーゲー・ツェーエフアー・ハーデーゲー・エフゲーハーと歌わされた。その後、先生がピアノでドミソ・ドファラ・シレソ・ファソシレのどれかのコードを弾くとその弾いた瞬間にみんながツェーゲー!ツェファー!ハデゲー!エフゲハ!等と何のコードなのかを言い当てていくのだった。
これはのちに音楽の授業でも導入された。

私は合唱はアルトのパート、ブラスバンドではクラリネット、リコーダー合奏ではバスリコーダー担当で、どれも私はそこそこしか上達しなかったが、ハモるという事と、皆と一緒に演奏し音楽に感情移入するとはどういう事かをここで初めて知ることが出来てとても良かった。
それまでは音に感情なんて必要だと思ったことも無かった。ただの音の連なりや響きに自分一人の脳内が満たされていればオッケーだったので逆にそんな変な要素は邪魔なだけだった。でも皆で音を合わせるとなったら気持ちを合わせ感情を合わせ重ねて音もまた合っていくという、一人でいる時とは全く違う事が必要だった。そしてそれがとても楽しかった。ぼっち生活が長かった私には、音で繋がれて分かち合え重なり合える合奏が最高に楽しかった。ここにずっと居たいと思った。それ以降一人だけで音楽をやりたいと思った事は生涯で今のところ一度もない。

#音楽 , #音楽履歴

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