音楽履歴:その後2

マンチェスターブーム前後のあたりから、あ!自分も曲書けるかも!となって
曲を作るようになり多重録音もするようになった。
ついでにコピーして多重録音というのもやってみたりしていた。
歌ってギターも弾いてベースも弾いて鍵盤も弾いた。ドラムは打ち込みだったが。
多重録音した曲は、『安全地帯/La-La-La』『藤井尚之/ナチュラリー』
『プリンセスプリンセス/19グローイングアップ』『コレクターズ/土曜日の子供たち』『Peter and Gordon/A World Without Love』『the monkeys/デイドリームビリーバー』などであった。

その後自分で曲を書いて、バンドを組んだりもした。
世間の音楽クソくだらねー!こんなんなら自分で作ったるわ!と思ったのだ。
「犬は待っている」「居酒屋で激論」「庭には2羽にわとり」etc.という自作の曲達。
当時頭の中は自分の曲のカケラだらけだった。 
自分は天才なんじゃないかと思っていた。
(今は、この人の曲をやりたいな、この曲最高だな、と思えるバンドに入れて
特に自分で曲を作る必要がなくなったので曲は作っていないし、そこに興味も無い)
(それからかなり後になってからだがその時の曲を、急遽怪我で出演出来なくなったバンドの穴埋めでライブで演奏した事がある。
ドラムウチの師匠堀尾氏、ベース元ふろとりの原澤くん、ギターボーカル私というメンバーだった。)


カラオケの打ち込みを仕事にしよう!と思った時期があった。
音楽を仕事にしたら色々上達出来るし最高じゃん?と思ったのだ。
先ずは仕事をバーンと辞めて1ヶ月間、自宅でひたすら打ち込みの練習をする日々。
マイケルジャクソンのスリラーの頭の方から始まり、ビートルズのエリナーリグビーや
フォーノーワンとか、カーペンターズのclose to youとか、コメダというスウェーデンの
バンドの曲とか、パイロットのsooner or laterとか。
スリラーは、メロディをどの楽器の音で鳴らしても演歌になってしまってとても
困ったのが思い出深い。

ちゃんとギターっぽくなるように弦ごとに微妙に時間差で鳴らし、ドラムの
チューニングも似せ、パンもちゃんと同じ位置に振り、リバーブの深さも似せて、
音の一つ一つをコピーして打ち込んでいくのはとても楽しかった。
ただただ音の事だけ考えている事を許された日々。天にも昇る心地の日々だった。
なんといっても朝起きたらもうひたすら音のことだけで良いのだ。
そんな幸せ、生まれて初めてだった。幸せ過ぎて怖いくらいだった。

で、いざ打ち込みのバイトを始めてみたら2週間持たずにクビになった。
自分のバンドふろとりのライブがあるので休みを取ろうとしたら、
そんなアマチュアのライブで休むなんて!と許可してもらえなかったのだ。
そんなこんなでカラオケ打ち込みを仕事には出来なかった。
あんなに通いで1週間以上毎日、工藤静香の情熱のイントロ〜Aメロのドラムを細かく
打ち込んだのにー。

#音楽 , #音楽履歴

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