自閉症の教室

 これまでの人生を振り返った上で、覚えている最も昔の思い出は幼児支援施設に通っていた時のことだろう。産まれてからいつまで経っても話す行為をしなかったこともあり、母がそのような子供を集めた場所へ通わせたのだった。
 そこには、私よりもずっと大きな子供達が自由に遊んでいた。水遊びを楽しそうにしている小学生と思われる少年の姿が印象的で、また、どうしてこのような場所に行かなければいけない自分自身が理解できないでいた。幼稚園に入る前の出来事だったこともあり、当時の私はそこが問題を持った少年少女が集う場所だと気付かなかったのであった。その後、私は何とか話をすることができるようになり、その施設は卒業することとなった。
 しかし、その幼児支援施設での思い出はそれだけだ。恐らく、そこに長く通っていたのだと推測できるが、そこでの記憶は例の水遊びをしている少年のことだけである。正直、その施設は私にとって大して役に立たなかったのだろう。本当だったら、幼稚園や小学校に入ってからもお世話になるべきだったものの、一緒に遊ぶ友人ができたことで親も安心してしまったに違いない。もしかしたら、もう少し深入りした支援が必要だったかも知れないにも関わらず、だ。
 それから大人になり、私は精神障害者支援施設に通うこととなった。これは誰かに促された訳ではなく、自分で自分が問題があると感じたので利用した次第である。これに対し、両親は理解を示してくれなかったけれども、個人的には成長できたと考えている。自らの他者との違いを痛感させられたのだから。その点では、何も分からずに行っていた児童支援施設とは大きく異なる。
 現在、無意識のうちに通所していた幼児施設は今でも解放されている。もし、私がほかの子供達と異なるということを自覚していたら、水遊びの少年の姿だけでなく、他にも色々と有益な思い出が浮かぶだろう。寧ろ、最初から自閉症と診断された方が遥かに生き易い人生が待っていたのではないだろうか。せっかく母親が私を心配して行った施設が意味を成さなかったことを頭に入れると、そのようなことが頭を過ってしまうのである。

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