面白いか面白くないか

 発達障害者の特徴として、白か黒でしか物事を見れないという点がある。本当だったら何兆段階のグレーがあるにも関わらず、それを理解することが非常に難しいのだ。これは、この先の人生とも大きく付き合って行く傾向なので、少し厄介にも感じられる。
 この状況は、信号で例えると非常に単純だ。赤や青だったら分かる。しかし、黄色になったらどうしたら良いものか悩んでしまう。最近では、黄色になったら無理して進まないように対処しているが、本当だったらケースバイケースで判断して然るべきだろう。そういったことも難しいのに、我ながら良くこれまで色々な道を歩いてきたものだと感心してしまう。
 同じような例として、人を単純に捉えてしまうことも問題だ。特に、働いている中でガミガミ怒鳴り散らしている上司を「嫌な奴だ」と単純に決め付けることは、自分でも直さなければならない傾向だと思っている。その中にある本心や注意されている内容を頭に刻み込まなければならないのに、勝手にその人間を敵視してしまうのである。これは、多くの社会人が悩んでいる課題として、現在でも鬱や退職の原因として存在し続けている。
 そんなこともあり、最近では少し視点を変えるようになった。社会に出る際の悩みとして抱くあるあらゆる問題を『面白いか面白くないか』で解決するように変化したのである。先輩に怒られたら面白くないのは当然だが、当の本人がそのまた上の人物にあれこれ言われるのは面白い。そのように、上手い具合で自分の中にある『面白い』を数多く見付けることができれば、どんなに酷いパワハラを受けても、陰で笑っていられることができる。こうすれば、誰もがギクシャクする人間関係も円満になるだろう。
 そんなことが頭に浮かんだ時期、昔からの知り合いで会社で高い役職にある森本君に私用で電話をしたところ、「ごめん、まだ仕事なんだ」と言われたので、後でラインでメッセージを送ることにした。確か、彼の勤めている場所では携帯電話でのやり取りが禁止されているはずだった。そんなビジネスマンの森本君がアタフタしている所を目の当たりにして、もしかしたら心の中で笑っている彼の部下達が沢山いるかも知れないと想像した。まあ、少し森本君には済まないことをしてしまったと後悔してはいるものの、その方が少し可愛げがあって良いのではないかとも考えてみれば、私の行動はそんなに悪いことではないのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?