ひきこもりと生活保護との直結性

 先日、ひきこもりの当事者会に参加した。この状況から打破したいという気持ちが半分と、何とか現状を否定しないで生きていたいという思いが半分といった感じで行ってみた。また、今の状態を考慮すると、とてもフルタイムで働けはしないだろう。そんなことも含め、色々と相談するつもりだったのだ。
 しかし、当事者の参加者は大して多くなかった。主催者の富沢さんという方はひきこもりを自称しているが、生活保護を受けて自主的にこのような活動もしているというイメージで、本来の意味でのひきこもりとは異なっていた。また、他のメンバーも社会保障の世話になっている人達が多く、寧ろ、そういった方々の方が精神的余裕がありそうにも見受けられた。
 確かに、本来だったら生活保護は働く能力のない人間に平等に与えられるべきである。そうなれば、障害者の精神的負担が減るだろうし、無理に社会に出て自分で自分の首を絞めるような状況にも陥らない。本来ならば、ケースワーカーのような類がいなくても、必要最低限の書類さえあれば直ぐにでも与えられるべき権利なのだ。
 だが、現実では少し問題が生じる。ひきこもりは障害者として認定されているケースは決して多くなく、仮に生活保護の申請が通ったとしても、労働を強いられることもあるようだ。実際、ひきこもりから脱出する為にやりたくもない介護の仕事を支援業者から紹介され、更に傾向が悪化してしまうという例もあった。ひきこもり状態に陥っている人には何らかの精神疾患があることは明らかなのに、病院に行ってきちんと障害者認定されないと、前述のような労働の無理強いが行われるのである。
 因みに、当事者会の最後でとある参加者が「困っている人は必ず生活保護によって救われる社会になって欲しい」といった発言をしていた。本当に同感であるし、自分を含めたひきこもりの面々にとっては重みのある言葉だ。更に、生活保護を受給することによって、ひきこもりの方々が社会活動を積極的に行う可能性も高まる。それは、主催者の富沢さんこそが生き証人だと言えるだろう。
 生活保護によって精神的に救われるひきこもりの人達・・・・・・ひきこもり問題はこのようなライフラインによって解決されるべき問題であり、それによってあらゆる問題が解決するのならば、もう少し生活保護の敷居が低い必要があるように考えられる。

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