ある発達障害者の死

 先日、ネットの記事でひきこもりの発達障害者へのインタビューが載っていた。その人は年齢も私と近く、置かれた状況も非常に似ていたこともあって、何となく読み進めた。どうやら、ひきこもりは脱し、それからは当事者としての支援をし出したらしい。しかし、最後の文章は非常にショッキングなものとなっていた。彼は両親の死のショックからか、最終的には自分も命を落としてしまったようなのである。
 その文章を最後まで読んで、私はとても他人事ではなく思われた。これは推測ではあるが、その発達障害者は当事者のサポーターとは言っても、自立していなかったのではないだろうか。親の世話になり続けていて、いなくなってしまったことで精神を病み、自殺をしたとも考えられる。ひきこもりの発達障害者のサクセスストーリーと見せ掛けて、本当に厳しい現実を突き付けられた気持ちになってしまった。
 尚、その人はインタビューの最後に『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎と自分とを照らし合わせている。煉獄さんは死の間際に早く亡くなった母親に心の中で認めて貰えたことを実感し、自らのやれることはやり切ったという形で死んで行く。その発達障害者も何かしらの共感を抱いたに違いない。ただ、彼はスタートラインに立ってから間もないうちに命を落としたという時点で煉獄杏寿郎とは大きく異なる。こうなると、発達障害者にとって両親という存在がどれだけ大きいかが鮮明になると言えるのではないだろうか。
 以上を踏まえると、どんなに得ることがあったとしても、サポートがない限りは発達障害者はまともに生きて行けないのだと断言できる。単に『ひきこもり』が解消されただけであって、実際は自立とは程遠い生活を送っていたに違いない。それ程、この障害は命を左右する危険な綱渡りをしているようなものなのだ。
 これからの人生、私もこの人みたくなってしまうのだろうか・・・・・・両親が元気でいることだけを頼りに、何かしらの解決策を早いうちに見付けないと、我が身がどうなるのかも分からなくなってしまうようなインタビュー記事であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?