発達障害と鬱が起こす希死念慮

 前にも書いたような気がするが、個人的には発達障害よりも鬱の方が厄介だったりする。それは、ストレスがない時にでも起こるし、日常生活でも満足に物事をこなすことができないからだ。それに加え、最近では死にたいという気持ちも強くなり、段々と立派な精神障害者になりつつある。
 しかし、そんな中でも、外に出ることだけは定期的に行っている。空いている電車やバスを用いて気心が知れた場所へ行き、少しだけその街をウロウロするだけの行為なものの、個人的には意味のあることだと思っている。ひきこもり状態は相変わらず続いているけれども、動けるうちはきちんとしたいのが現状だ。
 だが、そこに襲ってくるのが希死念慮である。歩いている間、私は常にこれに襲われており、途中で気分が悪くなることが頻繁にある。生活必需品を購入することも困難なレベルにまで陥り、近くにあるベンチで休憩を取りながら嫌な気分が去るのを待つ。それでもダメな場合は、早々と家に帰って休むような状態が続いている。
 個人的には、このような事態の解決策はないように考えられる。精神安定剤や抗鬱剤の量を増やしても上手く行かなかったし、逆にそのせいで攻撃性ばかりが強まってしまった前例もあるからだ。通っている病院の精神科医からは薬を減らす方向で進んでおり、こちらとしても躁状態になって無駄なトラブルを増やしたくはない。結局、心のバランスが良い状態を保てることは私にとって非常に困難なことであるとしか断言できないのが現実である。
 それに対して、「満足に動けない位のレベルだったら薬が合わないのではないか?」という尤もな意見もあるだろう。けれども、多くの精神障害者はそこら辺の兼ね合いが上手く取れず、大体の人達がそれが原因で困っているのが事実だ。外へ出ると、大声で独り言を放っているパワー系の面々を少なくとも5人以上は目にするものの、あれは薬量過多による弊害ではないかと感じている。
 そんなこともあり、これからも精神安定剤や抗鬱剤にはあまり頼らないでいたい。希死念慮は本当に恐ろしいし、それから脱することは非常に重要なことではあるけれども、他人様の迷惑になるような人間にだけはなりたくない。残念だが、私の精神的安定は同時にある種のリスクを伴うのである。
 そんなことが頭を過りながら、今日は所沢を散歩してきた。相変わらず精神状態は良くはない。それでも、ヘルプマークを除いては一般人と同様の感覚でいられたと思っている。仕方のない話なものの、本当の意味での人生のピンチを経験した立場からすれば、この位の希死念慮はスルーしなければいけないのかも知れない。

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