桜の季節

 先日、両親と近場の池で花見をした。毎年のようにこのようなイベントをしており、その度に「今年も桜が楽しめた」と言い合うのが決まりである。そんな中、今年の桜は自分にとってかなり大きな存在であった。それは、私が少し前まで自殺をする一歩手前にまで陥ってしまったからである。
 因みに、私の両親はもうかなりの歳だ。2人がいなくなることが頭を過ると、その前に私のような不必要な存在が消えるべきだと思ってしまう。親としてもその方が色々と楽なのが本音だろう。そのようなこともあり、鬱々とした日々を送っていたのであった。そして、その塞ぎ混んだ気持ちが大きくなり、最終的には一歩も外に出れなくなったのである。
 残念ながら、それから脱却した方法は抗鬱剤であった。医者から止められている強めの薬の余りを服用し、それによって何とか回復した訳である。ただ、次の通院の際にそれを出して貰えるかは分からない。恐らく、何かと理由を付けられて、現在の効かない双極性障害の薬の量を増やす程度に収まるだろう。つまり、私が元気でいられる期間も限られているのである。
 しかし、だからこそ、桜を眺めて良かったと言えたのは大きかった。これから先、同じような気持ちになることができる可能性は低い。その瞬間を生きている私にとって、楽しめるうちに楽しむことが非常に重要なのだ。
 取り敢えず、今年の桜を愛でることはできた。来年はどうなっているか分からないものの、一日一日を大事にして生きて行きたい。結果として、来年の桜を両親と観ることができたら幸せだ。その位のギリギリの状態で私は存在しているのである。

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