日本大学卒業生の悲劇

 唐突に言わせて頂くが、私は日大卒である。近年の数々の不祥事で最初から低かった地位が更に下がって行っている、あの日本大学に入ってしまったのであった。勿論、他人に「日大出身です」と言うと馬鹿にされ、今ではその事実を隠したいレベルだ。
 しかし、私の学力では現役で大学を選ぶとなると限られていたことも事実である。両親の稼ぎも少なく、学費も安く済ますことができる必要があった。それに、当時の我が文理学部国文学科は教授や講師のレベルが高く、きちんと勉強や研究をしたい人間にとっては最適だった。まあ、日大のくせに学習に力を入れるというのもどうかと思うが、環境的には決して悪くはなかったと言えるだろう。
 因みに、サークル活動も当初は積極的に行っていた。演劇サークルに所属していて、最初はきちんと勉強と両立させていたものの、段々とそれが難しくなって行って学業を重視した結果、様々な方向性を持つメンバー達の動きに追随できずに孤立してしまった。そりゃそうだろう、演習課題の発表日と劇の公演が重なってしまった時、特に何も考えずに舞台に出ないことを選んでしまったのだから。それ位、私は研究に没頭すれば将来の役に立つと信じて疑わなかったのである。
 勿論、アルバイトも色々とやった。ただ、どれも夏休みや春休みを利用したような短期バイトばかりで、長期で募集されていた和食レストランの調理職は半年足らずで逃げ出してしまった。この時点で、自分が社会性に欠けている人間であることを悟るべきだったけれども、真面目に学業をしているという間違った自信だけを頼りにしていたのであった。
 さて、そのような大学生活を送っていた私であるが、最終的にはある程度は名の知れた建築資材メーカーへの入社が決まった。そこを選んだ理由は簡単で、採用担当の人間に「うちは楽だよ」と騙されてしまったからである。その会社で体力的にも精神的にもボロボロに成り果て、改めて日大卒という恥ずかしさをひしひしと感じさせられたものだ。
 以上を頭に入れると、大学でどんなに勉強や研究を必死にやっても、他のことで上手く行かなければやっぱり駄目だということを痛感させられる。特に、学ぶ場所が日本大学だったら尚更だ。その時の仲間は大変な氷河期を乗り越えて色々と頑張っているが、誰もが私よりも学問に勤しんでいた訳ではない。寧ろ、バイトや他の社会生活に力を注いでいた輩ばかりである。悲しい話ではあるものの、私は世の中に出る訓練の仕方を間違ったと言える。
 日大で勉学に力を注いだ・・・・・・これは、あくまでも自己満足の世界でしかないのであって、本当は他の経験を積む必要があったのである。転職をする際に学生時代の成績表を提出しないことからも、そのような厳しい現実は明らかなのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?