社会不適合者のレッテル

 2002年の4月、私は新卒で小さな建材メーカーに入社した。そこでは、長めの研修期間があり、その間に同期の仲間達と親交を深めることができた。しかし、そんな中に浮いている人間が多少は存在し、ここで述べる中山君が凄まじかった。
 中山君の奇行は最初の呑み会からも明らかだった。他人の煙草を無断でパクり、会話らしい会話が成り立たなかった。その後も、メンバーから「あいつはヤバい」「絶対にいじめられてた」等の言葉が発せられ、実務に入る前から役立たずのレッテルを貼られてしまった。幸い、同じような傾向のある私は研修期間までは「デキる奴」と勘違いされていたこともあり、そのような評価は受けずに済んでいたが、彼はその特異なキャラクターで誰からも用心されていたのである。
 ただ、そこは同期の仲間同士である。色々とチームワークを重視し、落ちこぼれを出さないように努めた。そして、いつの間にか中山君も輪に溶け込むことができ、最終的に彼は「研修が人生で一番の良い思い出になった」と言うレベルにまで発展した。そして、研修も終わり、各々が様々な地方に配属となり、実務の経験を積むこととなった。
 正直、支店での営業の仕事は苦労の連続だった。月に140時間のサービス残業を強いられ、上からのいじめやパワハラも酷かった。それでも、中山君も頑張っているだろうことを想像すると、自分が会社に負ける訳には行かなかった。今になって振り返ると、早急に退職届を出すべきだったものの、変なプライドが邪魔をして、それができなかったのである。また、他のメンバーとも苦労しながらも繋がりを持っていたこともあり、辞めるに辞められなかったということもある。
 そんな中、私が体力的にも精神的にも限界に近付いていた時、中山君が退職することを知らされた。彼は私よりも遥かに酷い仕打ちを受けており、最終的には誰からも相手にされずに終わったらしかった。それに加え、とある先輩から「あいつは社会不適合者だった」とも言われ、そういう意味では有名な存在になってしまった。
 これに対し、私は中山君が社会不適合者というレッテルを貼られてしまったことに怒りを覚えた。この会社が彼を追い詰めただけで、他の分野では活躍できたかもしれないのに、営業ができないだけでそのように断言するのは時期尚早のようにも思った。それに加え、中山君に他の道を歩むチャンスを与えなかった上の面々に対しても不満があった。もしかしたら、営業以外のポジションであれば、彼はある種の才能を発揮するかも知れなかったのではないだろうか。まあ、色々と考えることはあったけれども、中山君が切り捨てられたことだけは確かだった。
 だが、会社の矛先は次に私を狙った。同じくダメ営業マンであった私に対する圧力が更に強まったのである。そして、最終的にはあらゆる面にまでボロボロにされた状態に陥り、私もクビ同然で会社を辞めることとなったのだった。
 さて、そんな私は他の会社でもきちんと働くことができず、今では障害者手帳を持つレベルにまで達してしまったが、今でも中山君が社会不適業者だと決め付けられたことが頭に浮かぶ。彼には「俺も同様だよ」と言ってあげたい気持ちにすらなる。けれども、そんな簡単に社会不適合者というレッテルを貼るような世の中で良いのだろうか。もっと様々な可能性があっても良いのではないかとすら感じられる気がするのだ。
 確かに、私と中山君は社会人としては機能しなかった。でも、それだけで総てを否定することは許される行為ではない。我々は社会不適合者というレッテルを貼られたものの、それだけで何もかもを諦めることはしてはいけないのである。色々と世間の空気は冷たいけれども、それに負けないでいることこそが私達ができる唯一の抵抗だと言えるだろう。

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