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携帯に 心奪われ マナー消ゆ

電車の中の風景

 あれは何年前、10年、いやもっと前。電車で初めて席を譲られて「えっ、いや、私は」とたじろいだ。家に帰って受けたショックを話したら、妻から「若い人から見れば、貴方も十分にお年寄りなのよ」と言われて、またガックリ。それから、電車やバスで席を譲られても、素直に受け入れることができるようになった。しかし、最近は「どうぞ」と声をかけられることがメッキリ減った。自分の容姿や挙措が若返ったはずもないに、何が変わったのだろうか。

 平日の朝10時頃、最寄りのバス停から西武池袋線の駅までバスに乗った。この時間帯はお年寄りのお出掛けタイムで、車内は前期高齢者、後期高齢者入り乱れて大混雑。ある駅で席を立った老女(後期と思しき)が、傍に立っていた老爺(前期と思しき)に、「有難うございました、どうぞお座り下さい」と声をかけた。老人ばかりの中では、少しでも元気な者が席を譲る。これが最近のマナーのようである。

 このマナーの背景には、席を譲った老人は「人助けをした満足感と僅かな優越感を味わえる」ことがあるに違いない。席に座った老人は周りに目を配っており、「あいつは俺より老けてるな」、「あの方は、私より足腰が弱そうね」と見て取ると、勇んで立ち上がる。
 社内での目配り、これだ。電車やバスの中で若者から声をかけてもらえないのは、若者が社内で周りを見ていないからだ。席に座っている若者は、十中八九スマホの画面に見入っている。更に、ワイヤレスイヤホンを耳にはめている子も多い。老人が近くに立っていても奴らは気づていないのだ。

 最近、駅では、「歩きながら携帯を見るのは、危険ですのでやめましょう」との放送がうるさいほどに流されている。そんな注意喚起をしなければならないくらい、スマホには人の目を惹きつけて離さない魔力があるに違いない。スマホに人を危険も顧みずに夢中にさせる力があるとすると、スマホに見入っている若者に他者への目配りを望むなんて土台無理な相談か。

(2023.07.06)

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